現在日本では酒類を許可なしで醸造することは法律で禁じられている。しかし、欧米 諸国ではビールなどを家庭で作ることは何も法に触れることではなく、ビール醸造と いうことを一つの趣味として位置づけているのである。日本では一見あたりまえかの ように思われているが、外国と比較してみるとわかるように、実は醸造が違法行為で あるということはおかしいことなのである。
では、日本では昔から自家醸造が禁止されていたのであろうか。いやそうではない。 それがわかるものとして、最近話題になった濁酒(ドブロク)裁判は良い例であろ う。これは、沖縄の伝統文化であるドブロクの自家醸造を最高裁がその判決として 事実上認めないという見解を出したものであったが、そこでの理由は国の財源を確保 するためには、国民の自由をある程度制限することも仕方がないというものであっ た。このように昔は自家醸造を認めていたのである。では、いつからそのような法律 ができたかというと、それは日露戦争の頃までさかのぼる。当時、戦費調達のためビ ール等の増税とともに、それまで自由であった自家醸造を違法行為とし、認可を受け た者のみ醸造可能ということになったのである。
このようにしてできた許認可制度においては大企業のみが認可を受けることができる 基準を満たすこととなり、事実上自家醸造という伝統文化は日本から消えてしまった のである。まさにこれは官僚主導型でやってきた日本の規制が生み出した弊害なので あった。
しかし近年、日本でも食文化としての自家醸造を自由化しようという動きが再び活発
になりつつある。それらの動きから生まれてきた新しい産業についてこれから歴史を
追いながら見ていこう。