「生き生きとした学び」を実現する教師の新しい役割=アーキテクトビルダー

2012.08.27 Monday 15:48
井庭 崇


今回も、文章の「住宅」を「学び」に、「住宅生産」を「教育」と置き換え、「家族」と「人々」をともに「人々」=「学習者」と捉え、読み直してみてほしい。そしてここでは、「建築家」を「カリキュラムや学習内容を規定する人」、「請負業者」を「現場の教師」と置き換えてみよう。こうすることで、建築の分野の話として語られていることを、教育の分野を考えるためのアナロジーとして理解することができるだろう。

さて、ここで確認していおきたいことがある。それは、学習者が自ら自分の学びをデザインし、生き生きとした学びを実現するというとき、教師がまったく不要になるというわけではない、ということである。

自らの学びをデザインするというのは、そのコントロールの権利が学習者にあるということであって、独りっきりでデザインしなければならないという意味ではないからである。

住宅生産プロセスの基本、おそらく最も大切なものは、家族が自分たちの手でレイアウトをしていくという原則です。これは、必ずしも家族のメンバーが施工のプロセスに労働者として携わるということではなく、どの家族も自分たちの環境を直接にコントロールする権利を持っているということです。(p.113)


このように自らの学びをデザインする学習者を支援する教師は、新しい種類の役割を担うことになる。学びのアーキテクトビルダーとして、学習者と密に話し合いながら、学びの場をつくり続けていく。そういうことが求められているのだ。

多様性を可能にする生産が基本になっていなければなりません。しかも、その多様性を許す生産は大きなスケールで可能でなければなりません。ですから、少なくともプロセスの上では何らかの統一が必要です。私たちの結論としては、プロセスに家族の多様性や独自性を入れ込みながら、実際にこの素晴らしい多様性を大規模な生産に不可欠である施工や工法の一貫性と何とか[なじませる]には、大規模に住宅を生産する力と個々の住宅を個性的で人間的に生み出す力とを結び合わせることのできる全く新しい種類の人間がいなければ不可能だということです。

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