ハイエク、ルーマン、アレグザンダーをつなぐ
2008.04.12 Saturday 10:58
井庭 崇
このような観点から、ハイエクは、計画経済の社会主義を批判するのだ。一方、アレグザンダーも、建築の分野で次のように語っている。
「町の創出や個々の建物の創出は基本的には一つの発生【ジェネティック】プロセスである。いかに数多くの計画や設計をもってしても、このような発生プロセスに置き換えることはできない。しかも、いかに数多くの個人的才能をもってしても、このプロセスに置き換えられない。」(Alexander, 1979: p.197)
こうしてアレグザンダーは、建築家が都市計画や建築物を近代的な方法で設計するやり方について批判するのだ。
社会の秩序は、自生的に(自己組織的に)成長することが重要なのであって、外から誰かがつくるということなどできない。だからといって、なんでもありというわけにはいかない。そこで、人びとの自由や創造性を阻害することなく、秩序を「育てていく」ための工夫が必要になる。ハイエクは抽象的な「制度」に着目し、アレグザンダーは抽象的な「パターン」に着目する。着目点こそ異なるが、目指すところは一緒なのだ。このほかにも、ハイエクとアレグザンダーには、秩序や知識の議論において共通点が多い。
もちろん、両者には差異もある。それは、ハイエクは主に社会制度(体制)について考えるのに対し、アレグザンダーは建造物・空間について考えるという点だ。この違いは、同じ「自生的秩序」に注目しているものの、社会哲学者と建築家という違いからくるものだといえる。
僕は、ハイエクとアレグザンダーの共通部分をとるのではなく、両者の和集合をとって、より包括的な自生的秩序&知識の理論が展開できるはずだ、と考えている(図参照)。
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