「2年後」の決意

2019.12.21 Saturday 22:57
井庭 崇


ちょうど2年前の今日、僕は脳出血で救急車で病院に運ばれ、入院した。その日は、なんてことない日だった。自宅の書斎で英語論文の仕上げ修正を行なっていた。そのあと大学で研究会(ゼミ)があり、その後、夕方からイベント登壇して対談の予定だった。その頃、いつものように毎日たくさん仕事し、とても疲れていた。その日、妻は、様子のおかしい僕を見て、もう仕事に復帰できないだろうと感じたという。それほどのひど状態だったということだ。

脳出血の原因は最終的には特定できていないのであるが、状況から判断するに「疲れて血圧が高めだったところに、ストレスでさらに血圧が上がり出血したのではないか」というのが、最終的な診断だ。右脳の出血だった。僕が得意な領域を司る右脳。

実は、救急車で運ばれたときも、入院したときも、僕自身はほとんど自覚症状がなく、「今日登壇の予定だったのに、対談相手と来場者に申し訳ない」ということと「来週、楽しみにしていた忘年会の予定があったのに、行けなそうで残念だなぁ」くらいの気持ちだった。でも、周囲に言わせれば、僕が話すとろれつがまわっていない(らしい)し、文字でのメッセージや投稿は、誤字脱字が相当ひどかった(これはあとで自分でも確認できた)。担当医師いわく、出血した箇所がマシだったので「この程度で済んだのだ」ということだった。

そんなわけで、ことの重大さを自分が本当に実感したのは少し経ってからのことだった。後遺症は、左半身の麻痺、左半空間無視(視野では見えているのに認識の際に取りこぼされる)、高次脳機能障害。舌が思うように動かず、しゃべりは相当ゆっくりになり、元気がない。ちょっとしたことを忘れやすく、同時に複雑なことを並行してすることが困難になった。電車は逆方向に乗ってしまうし、降り損ねたり、違う駅であると気づかずに改札を出てから見知らぬ景色に呆然としたりする。僕の脳のなかでは、出血によってその周囲の脳細胞が死んでしまい、いろいろ不都合が起こっていた。認知症の方とその家族のためにつくったパターン・ランゲージ『旅のことば』が、自分自身と家族にとても役だったし、救いになった。

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