素顔なんてないの
 

そこで、このような形式的な役割関係をさらに進めて、調査される『かれら』と調査する『ぼく』との個別的な役割関係を付加して重層的な関係を形成することが必要だと思います。なぜか。ぼくがかれらの意識や行動を分析し解釈するには、かれらがぼくにたいしてどのような実質的な役割を演じるつもりなのか、をある程度明確に知っておかなければならないからです。かれらが、単にサンプルという調査される客体だけではなく、ぼくとの関係において個別的な役割を自己定位する主体として存在するとき、ぼくはかれらを分析し解釈できる立場を確保できるのです。だからこの調査は、若者にかんする客観的な報告をめざすものではなく、団塊の世代のぼくが新人類といわれる若者をどのように解釈するか、という『ぼくとかれら』の間主観的な役割関係を前提として発想されたものである。


418人の若者に感謝。かれらがいたから、この調査が始まり、ここに記念碑的労作(軽作!)が誕生しようとしているのです。ホントー、社会学者は大変なんです。この調査のメッセージは約1400人(正確な数字がでないところが、いい加減だと非難されて困ってしまうのですが)の大学生をあてにして、「やっていただいた」のですが、かえってきたのは418人のパーソナル・メッセージです。いわゆる回収率は約30パーセントでして、こんな膨大な量でしかもお土産(ボールペンのようなもの)もないことを考慮すれば、かなりの回収率と自賛することも許されるのではないでしょうか。といっても、実は、これ負け惜しみでして、もっと回収率は高いはずだ、と信じていたのです。ところが、なんと、これであります。若者とのズレが、早くも分析以前の段階で露呈してしまった、という辛い思いがここにはあるのです。無念の涙。理解はいつも幻想から始まる。