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父さんが、自力で建てた郊外のしゃれた一戸建の家。ここには歴史と呼べるほどの 時間の単位は存在しない。あっという間に走りすぎた時間のなかで、その流れに遅れ ないように、必死でついてきたランナーの背中がみえるだけである。
父さんは、いつも苦しかった。今、酒を飲めば、酔った勢いで、苦労は買ってでも しろ、と子供に説教をする。そうすることでしか自分を慰められない暗い青春があ る。かれは、つらかった時代をいかに頑張りぬき、今このような幸福を一代でいかに
して築き上げたか、を迫真の演技をもって語る。男の涙が許される。
やっぱり、とうさんは偉かった。その称賛だけが生きがいである。馬車馬になって 働き、一家の団らんなどと、楽しむ余裕をみせることが許されなかった。いつも虚勢 をはって生きることがが父の務めだと信じきってきた。もちろんそれが虚勢だなどと
は夢にも思ってはいなかった。父は心底まじめに働いた。
子供という若者は、それをみせつけられて、反吐をはくのか、単純に感動するの か。優しさの世代は、どちらを選択するのか。
家、この怪物。どっちにしろ、救いはないのか。
だからなのか、子供として味わってきた不幸を繰り返したくないかのように、団塊 の世代には結婚しても子供を拒否する夫婦家族が生まれ、さらに結婚すら拒否するシ ングルズが出現する。つぎつぎと新しい形態が勢力を延ばす。核家族が家族の最小単
位だという幻想があっけなく崩壊する。それを、人は世紀末と呼ぶのか。かるーく、 かるーく、どこまでも。
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