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映画『クレイマー・クレイマー』は、専業主婦であることに疑問を抱き、家庭を飛 び出て自立を求める女性と、残された子供の世話をしながら、仕事だけの人から主夫 としても目覚めてくる男性との葛藤を描いたものです。
女が外で自由に働くようになり、それによって男と対等な社会的評価を獲得しよう とする。これが女の自立というやつです。専業主婦における『夫の付属』を拒否して 『自分の力による自分らしさ』を求めようとするならば、外に出て働くしかない、と
いう判断は正しいのでしょう。問題は、そのような場合、家族における役割はどうな るのか、ということです。
映画では、彼女が家をでた後、父と子の親子関係における変化がテーマになります。最初父親は、子供にたいして朝食さえ満足につくってやれません。彼のすべてを支配 しているのが仕事のことだけだからです。子供の学校への送り迎えにも苦労します。
そしてこれらの雑用(仕事人間からみた事柄の評価)は仕事に大きな悪影響をもたら します。その結果、彼は職を失い、かつてより条件の悪い職場(一流企業から二流企
業ヘ、そして年俸のダウン)に移ります。経済的安定と社会的地位にかんして、はっ きりと後退します。ここでアメリカン・ドリームのサクセス・ストーリーが一挙に崩
壊します。しかしその頃から、彼も自分の内的価値観を変化させます。サクセス・ス トーリーにはない新しいライフスタイルを発見します。かつての雑用が、いま仕事と
同じぐらい大切なものになります。やっと男も自立しはじめます。
ダスティ・ホフマンだって、子供のためにフレンチトーストがつくれた
まだまだ続けますと、裁判で子供の養育をめぐって両親が争います。そして結果は 父親の負けです。裁判の結果は、保守的なもので、子供の世話は母に任せばいい、父 親はサクセス・ストーリーのなかで生きなければいけない、という結論です。男は外
で、女は内、という役割分化を前提とした家族がまだ理想的なのです。産業社会はま だこのような理想を家族に求めているのです。
そして最後。映画ですので、エンディングをきめます。裁判で争い、それに勝った にもかかわらず、彼女は新しい父子関係が形成された事実の前に負けます。自分が女 として自立するには、男の自立を認めることが不可欠な条件であることに気づいたか
らなのでしょうか。ラストは、階上の部屋で待つ息子と話し合うために、彼が彼女を 送るシーンです。エレベーターのドアが閉まります。
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