素顔なんてないの
 

父さんは、 家長なんだと、イバってる

わしは家長だ、と威勢のいいおとうさんが、まだいるんですね。うらやましいで す。父親の権威がまだ生きてる、と実感される家族があることに感動さえします。も うとっくに父親は家族から疎外されて、ただの働き蜂としてガムシャラに家族のため と、勘違いして働くだけの存在と信じていたのに。まだ健在でした、父の権威を飾る 家長という名がついた家族が。

でも本当に家長は生きているのでしょうか。やはり疑ってみることは必要のようで す。単なる虚構、より具体的に表現すれば、父親以外の家族のみんなが父親にやさし くて、あたかも権威を認めているかの如く振る舞っているだけなのだ、という疑問が 沸いてくるのです。父親は、いま絶対に危機なのです、家長という役割にかんして は。かれは給料を運んでくる『よそのおじさん』、というコンセプトが一番ピッタリ だと思うのですが。いかがなものでしょうか。

外で働くことが、家長の権威を失墜させたのではないでしょうか。子供は父親の背 中をみて成長するものです。父が汗を流して重たいものを運んでいるとき、子供は、 父のその姿に小さな胸を痛め、お父さんは偉大だと意識に確信するのです。いま家の なかで汗をかくのは母親です。母は子供の世話に明け暮れることで、子供の尊敬を一 心に受けます。台所をきれいにするため、汗をふきふき床を磨く母の姿に、子供は 『ぼくのお母さんは、素晴らしい』と思ってしまうのです。

対照的に、父親は家の中ではゴロゴロしてテレ寝だけです。どんなに外で懸命に働 こうと、子供はそれを理解する術を知りません。子供は、家にいる父のだらしのな い、そしてしまりのない背中をみて呆れるだけです。しかも、その子供の理解を、母 親が助長します。『ほんとに父さんは、ダメなんだから』という母親の決定的な一打 で、ダメおやじの完成です。可哀想なおとうさんです。