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2005年06月06日
第7回講義レビュー(その1)
欧州の安全保障:NATO・EUを中心に
【欧州の安全保障を学ぶということ】
さて、ヨーロッパ(ここでは欧州と書きます)の国際政治を学ぶことは、国際政治学の原点を学ぶことに他なりません。古くはアテネとスパルタの「ペロポネソス戦争」から、ギリシア・ローマ時代、宗教戦争、産業革命と近代欧州の成立・国民国家時代の幕開け、ウイーン体制、第一次大戦と戦後の秩序・・・に至るまで、国際政治の歴史は欧州の歴史と共にありました。今でこそ、米国流の国際関係論や安全保障の諸理論が幅を利かせていますが、国際政治学の空間軸と時間軸に厚みを持たせてきたのは、欧州の国際関係史に他ならないわけですね。その欧州の安全保障を90分1回の授業で扱うというのは、罪深いことですらあります。
ただ第一次・第二次大戦は欧州諸国を疲弊させ、その代わりに超大国・米国が台頭しました。覇権交代の巨大なうねりが20世紀の初頭に押し寄せ、その後「パックス・アメリカーナ」と呼ばれる米国による国際秩序が継続することになります。まさに第二次大戦後の国際関係は、米国の国際関係史といってもよいほど、その存在は圧倒的でした。ただ、ここで重要なのは欧州諸国が、過去2世紀にわたる栄光の歴史と国際関係のイメージを、「共通の記憶」(Collective Memory)として培っていることです。まさにそれは、欧州諸国民が持つ身体知といってもいいかもしれません。
こうした米国流・欧州流といった国際関係に対するイメージが、しばしば米欧関係に緊張をもたらします。ごく最近でいえば、イラク戦争の開戦に至る過程で、米国と(いわゆる)「古い欧州」(フランス・ドイツ等)は鋭く対立しました。米国の新保守主義者(ネオ・コン)論客であるロバート・ケーガン(Robert Kagan)は、2002年6月に発表した”Power and Weakness” (日本語訳 good job!)という論文で「ヨーロッパ人とアメリカ人は同じ世界観を共有している、あるいは同じ世界を共有していると取り繕うことを、もう止めるべきである」と主張し、世界的に衝撃を与えました。やや長いですが、その冒頭のパラグラフを以下に紹介します。
ヨーロッパ人とアメリカ人は、同じ世界観を共有している、あるいは同じ世界を共有していると取り繕うことを、もうやめるべきである。パワーに関するきわめて重要な問題である権力の有効性、道義性、妥当性についての見方が、アメリカとヨーロッパとで分かれつつある。ヨーロッパは権力から目をそむけている。あるいは少し言い方を変えると、権力から超然として、法と規則と脱国家的(transnational)な交渉や協力からなる自足的な(self-contained)世界に移行しつつある。ヨーロッパは平和で豊かな、歴史を超越した楽園(post-historical paradise)の段階に入り、カントのいう「永久平和」を実現しつつある。その間、合衆国は歴史のぬかるみにはまったままであり、ホッブスのいうアナーキーな世界でパワーを行使し続けている。このアナーキーな世界では国際法や規則は当てにならず、真の安全保障と自由な秩序の擁護と促進は、いまだに軍事力の保有と行使に依存している。以上が今日の主要な戦略問題、国際問題に関して、アメリカ人は戦いの神の火星から、ヨーロッパ人は美と愛の女神である金星から来ているといわれる所以である。両者のあいだにはほとんど何の合意もないし、相互理解も次第に希薄になってきている。そして、こうした問題状況は一時的なものではない。すなわち、2000年の米大統領選挙の結果でも、9.11テロという大惨事の影響でもない。欧米の分裂の理由には根深いものがあり、過去の複雑な経緯もあって、分裂の要因は今後も当分存続しそうである。国益の優先順位を設定し、何が脅威なのかを峻別し、課題を定義し、対外政策と防衛政策を形成し実施するという段になると、すでに合衆国とヨーロッパは袂を分かっている。
ケーガン論文は、ぜひ全文を読んでみてください。2002年6月といえばアフガニスタン戦争に勝利し、イラク戦争への準備が加速した、米国がもっとも「新しい脅威」への対処への勢いを増していた時期でした。その時期に、ネオコンが欧州を「歴史に凝り固まった弱者」として、吐き捨てるような議論をしていた雰囲気をよく理解できると思います。そしてさらに議論を進めれば、9.11攻撃によって安全保障の脆弱性を感じた米国が、自らのふるう剥き出しの力と、同時に内包する自らの弱さを、パワーによって克服したい焦りと驕りとを読み取ることができるかもしれません。
【欧州安全保障防衛政策(ESDP)の台頭】
冷戦後、こうした米欧の安全保障に対する哲学の対立を認識させた象徴的な事件が、旧ユーゴ紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、及びコソボ紛争)でした。冷戦の終結によりユーゴスラビアがセルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアに分離する過程において、内戦に突入し、多くの悲劇が起こりました。米欧関係の中で旧ユーゴ紛争を振り返ると、それは「紛争解決への哲学」の差異が明確化したといっていいと思います。コソボ紛争において、欧州諸国(特にフランス)が、交渉を重視し、多国間主義に基づく解決方式を志向したのに対し、米国は空爆によって事態を改善しなければ、交渉も先に進まないと強硬に主張しました。結果として、NATOとしてユーゴ軍・治安部隊に対する空爆に踏み切り、数ヵ月後にミロシェビッチ大統領の和平案受諾を得ることができました。
欧州諸国がこのとき痛感したのは、欧州が独自の軍事力を強化しなければ、周辺地域で起きるこうした地域紛争で政治力を発揮することすらできない、という危機感でした。紛争において有効な仲裁・調停をするためにも、また交渉能力を発揮するためにも、十分な軍事力(いざというときの介入能力)を背景としなければ、結果として米国に全てを委ねることになりかねない、という問題意識を強くしていったのです。
こうした中で「欧州安全保障防衛政策(European Security and Defense Policy: ESDP)」の方針を強く打ち出したのが、1998年12月の「英仏サン・マロ首脳会議」でした。同会議において、EUが独自の軍事行動を遂行する能力・機構を保持すべきことを確認し、そして将来の緊急展開軍の設置を視野にいれた働きかけを強めることに合意しています。もちろん、イギリスとフランスには対米関係の温度差はあります。イギリスが米国との同盟関係を円滑にするためにも欧州の能力向上が必要だと考えていたのに対し、フランスは米国の戦略との距離を置くために欧州独自の軍事能力が必要だと考えていました。いずれにせよ、欧州を舞台に置いた安全保障の能力向上が合意形成されていきました。
翌年の1999年の「EU・ヘルシンキ首脳会議」では、2003年までのEU緊急展開部隊(Rapid Reaction Force: RRF)を設置することに合意しました。このRRFは、EUとして域内・域外の人道援助・救援、平和維持、危機管理などの機能を備える部隊です。RRFを構成するのは、6万人規模で60日以内に展開可能で、1年間の継戦ができるものとされています。このRRFの整備によって、EUが独自にコソボ型の地域紛争に対応できるように、能力の強化をはかるものとして、大いに注目されました。
その一方で、RRFは当初より「紙の上の合意」と揶揄されるほど、実質が伴っていませんでした。例えば、域外に部隊を展開させるとなれば、要員や物資を輸送するための長距離輸送機(Strategic Air Lift)が不可欠ですが、こうした戦略輸送機を持っている国がほとんどないのが実情でした。さらに、NATOと比べるとEU域内における指揮・統制・命令・コンピュータ・インテリジェンス(C4I)が十分に整備されておらず、EUとしての訓練もまだ錬度が足りているとはいえません。さらにEUの中小国は、なかなか軍事費の増大が追いつかず、EUとして定めた「ヘッドライン・ゴール」(軍事調達目標)に到達することが困難であるという問題に直面しています。
その結果、EUがRRFを運用する際には、当面の間NATOの基地・施設・装備等を有効活用せざるを得ないことになっています。本来EUの軍事能力の強化は、NATOに頼らず政治的・軍事的オプションを保持できるようにするという大目標がありました。ところが、各国ともに軍事費増加に対する制約などがネックとなり、結果としては一時的にNATOアセットへの依存を強めているという皮肉な状況に陥ってしまいました。
【「欧州安全保障戦略」(ソラナ・ペーパー)】
ただ、「サン・マロ首脳会議」以来のESDP強化への道のりは、確実にEUの独自志向性を強めていることは事実です。未だに軍事能力・運用能力は期待通りに進んでいないものの、EU域内におけるESDP強化のコンセンサス、そして政策対話の強化は確実に進展しています。特に冒頭に紹介したイラク問題における欧州結束の危機は、議長国のギリシアによって開催された特別欧州理事会の結論文書の採択によって回避され、これをバネにESDP再強化への方針が打ち出されました。
こうした成果をまとめたのが、共通安全保障政策(CFSP)上級代表のソラナを中心にまとめられた「よりよい世界のための安全な欧州」(A Secure Europe in a Better World) でした。タイトルこそ一見さえないレポートですが、中身は「欧州安全保障戦略」といってよいほど、重要な文章となっています。
この中で、EUが直面する脅威として①テロ、②大量破壊兵器の拡散、③地域紛争、④破綻国家、⑤国際組織犯罪の5分野を特定し、これに対し「軍事力に限らない包括的な手段を用いた予防的関与(preventive engagement)」の重要性を強調しています。そしてEUの戦略目標として、「脅威への取り組み」「近隣諸国の安全保障の確保」「多国間主義」を柱に掲げています。
一見、これらの主張(「軍事力に限らない・・・」や「多国間主義」の強調)は冒頭のケーガンが批判した欧州における「弱腰外交」の象徴であるかにも見えます。確かに、ソラナ・ペーパーは欧州における交渉重視、外交重視の姿勢を明確にしたものともいえます。しかし、それにも増して重要なのは、①EUが「予防的関与」の重要性を認め、いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」の「先制行動論」への調和を部分的にはかろうとしていること、②「近隣諸国の安全保障」を柱に据え、EU域外へのコミットメントを明確にしていること、③「脅威への取り組み」を柱に据え、「脅威対処型」の現実主義的な安全保障観を提示していること・・・等において、きわめて欧州が主体的にパワーの担い手であろうという見方ができると思います。
このようにして、欧州は独自の安全保障政策に向けた動きを加速させようとしています。これがどこまで進化することができるのか、これもひとえに欧州の統合の度合い、そしてNATO・米国との関係が大きな座標軸となることでしょう。そして、前者についてはつい先ごろ、欧州憲法の批准がフランス・オランダの二カ国で批准失敗という事態を向かえ、ここにきて足踏みがみられるようになりました。こうした論点については、次回(その2)でお送りすることにしましょう。
【つづく】
投稿者 jimbo : 2005年06月06日 01:38