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2006年05月06日

第3回講義レビュー(06年)

【テイラーメイド型抑止(tailored deterrence)】

現代の安全保障論における「抑止」の位置づけは、多義的になりつつあります。(基礎編)の「新しい脅威に『抑止論』は適用できるか」でも書いたとおり、かつての伝統的な定義では抑止ができないアクターが、安全保障の第1級の脅威として浮上したからです。

授業でも言及したように、抑止論がもっとも定式化されやすい(あてはまりやすい)のは、第1象限の対称的な世界でした。とくに第4回講義で扱う「核抑止論」のなかで、抑止論は冷戦期の国際関係論のスターダムに乗ることになりました。冷戦期をつうじて米ソ両国は、互いの兵器能力を均衡させ、互いの意図を確認しようとすることによって、互いの攻撃を抑止してきた。それが「長い平和」(J・ギャディス)をもたらした、評価されてきたわけです。

それでは、現代の安全保障論が扱う第2象限の世界で「抑止論」はどのように展開されるのでしょうか。

まず考えなければならないのは、すでに学んだとおり、抑止の対象となる脅威が拡散したことです。その拡散のカテゴリーについては、少なくとも①新しく台頭しつつある国家、②ならず者国家、③テロリストなどを想定する必要がでてきました。①⇒③にいくにしたがい、非対称性が増すということが理解できると思います。

したがって抑止論は一つの概念によって「全てに当てはまる抑止」(one-size fits all deterrence)の考え方から、「テイラーメイド型抑止」(tailored deterrence)に移行しなければならない、という論理にたどり着きます(see Quadrrenial Defense Review, pp.49-51)。それぞれの年齢、体型に合わせて服を仕立てるように、国際関係の状況と相手の性質によって、抑止の姿・形を変えていくという考え方ですね。

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尚、(基礎編)および第10回講義レビュー(05年)では、「テロリズムと抑止」の問題を扱い、いちおうの暫定的な結論にたどり着くことができました。ただし、第1象限の極地(extreme end)である米ソ関係や、第2象限の極地である対テロリズムにおける抑止論を論じたところで、現代の抑止論の総合像を理解したことにはならないでしょう。国際関係のほとんどの事象は、その中間に存在するからです。
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つまり①米中関係、②中台関係、南北朝鮮関係のような対立関係から、③テロリストと米国との関係など、異なる次元での顕在的・潜在的紛争を「抑止」するメカニズムを、それぞれ「仕立て」なければならないわけです。

だとすると、抑止論の何が変わり、そして何が変わらないのでしょうか。

【「抑制」(dissuasion)概念の導入と「テイラーメイド型抑止」】

そこで強調されはじめた概念が、「抑制」(disuassion)」と呼ばれる概念です。QDR(2005)で「抑制」は「(米国の利益にとって)有害な能力を開発したり、行動をとろうとすることを思いとどまらせること」と定義されています。「抑制」政策の目的は、米国が対峙している(しかねない)相手の意図と能力を、米国にとって望ましい方向に形成(shape)することにあります。それにより、①相手国の行動を抑制し、②相手国の戦略と資源を一定の方向に導き、脅威を減少させ、③相手国の軍事プランニングを複雑化させる(コストを大きくさせる)というのが、概念設計です。

ややわかりにくいかもしれませんね。QDR(2005)が提示した「テイラーメイド型抑止」で大事なのは、「抑止」の概念を幅広くとりながら、具体的に行動を「止めさせる・思いとどまらせる」ことが「抑止」だとするならば、その行動をそもそもとらせないような環境をつくっていくのが「抑制」という概念になるわけです。つまり、「対処療法型」の「抑止」と、「漢方型」の「抑制」を組み合わせるという発想なのですね。そして、実際に「抑止」の局面になったときのコストを低くするためにも、日頃の「抑制」が重要だということになるわけです。

「テイラーメイド型抑止」を米国でもっともディープに解説した、ライアン・ヘンリー国防主席次官補は、下記のような図をつかって「抑制」と「抑止」の関係を説明しています。

disuassion(ryan).jpg

このように、「抑制」の時間的なスパンを長くとり、外交から危機管理にいたるタイムラインの中で位置づけたのが特徴です。

さらに下の図をみると「テイラーメイド型抑止」が対象としているカテゴリーがわかります。まず横軸に3つの対象をとります。①「台頭する国家」(peer/emerging peer)、②「ならず者国家」(rogue states)、③「暴力性の過激主義」(Violent Extremists)ですね。そして縦軸に、「抑制」と「抑止」が対象とするアクターを4つとります。①「リーダー」(senior leadership)、②「軍事指導者」(military commander)、③「周辺アクター」(trigger puller)、④「一般民衆」(general populace)です。

(図挿入:予定)

これをみると、非対称性が増すにつれて、「抑制」と「抑止」の対象が①⇒④へと広がっていくことがわかります。「ならず者国家」を相手にする際には、その国家を支援している企業、資金、人脈などを辿らなければならない。また「テロリスト」に対峙する際にも、テロリスト・セルの把握から、セルを支持するボランティア、そして広範な「支援者」にいたるまで、幅広く対象にしなければならないということです。

これが現段階における、「抑止論」の姿です。「抑止」が安全保障の基盤となった時代を経て、「抑止」は「抑制」の概念を飲み込みつつ、広範な概念として再浮上してきました。今後、どのように「抑止論」が展開していくのか、引き続き考察を深める必要があるでしょう。

【ケース・スタディ:中台関係】

さて、授業での最初のケースで扱ったのは中台関係でした。詳しい説明は省略しますが、中国は台湾が①独立宣言を行った場合、②(独立を既定化する)憲法改正を行った場合、③平和統一の条件が完全に失われた場合には、「非平和的な措置その他必要な措置」をとる(つまり武力行使する)と宣言しています。国家分裂を防ぐために、分裂勢力に対しては武力行使も辞さない、というのが現在の中国の立場です。

それでは、そのような武力行使は可能なのでしょうか?いろいろ難しい問題がありそうです。例えば軍事的にみても、中国の人民解放軍が台湾に上陸して完全制圧するためには、台湾軍の6倍の兵力が必要とされるとしています。それ以前に、上陸するためには台湾海峡の制空権(空域における軍事優位)と制海権(海域における軍事的優位)をとらなければなりません。現在の中台の軍事バランスをみると、陸上兵力数はともかく、空軍・海軍の軍事バランスから考えれば、まだまだ台湾軍が優位な状況にあるといえるでしょう。

さらに台湾は「台湾関係法」(1979)で「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」ことを宣言することによって、米国との軍事的な関係を「曖昧な形で」保っています。もっとも、台湾関係法は米国議会の国内法であって、条約としての法的縛りはありません。つまり台湾が米国の「集団的自衛権」に基づく「拡大抑止」を担保しているかどうか、これはその時々の米政権の政治的な判断に拠るということになるわけです。こうした米国の台湾に対するコミットメントを称して「戦略的曖昧性(Strategic Ambiguity)」と呼ぶわけです。

したがって中台関係には、「中台抑止関係」と「中・台(米)抑止関係」という二つの次元が存在することになるわけですね。この2つの抑止体系を掛け合わせるならば、台湾に対して中国が武力行使を実施するのは、実際のところとても難しいように思えます。

だったら台湾は悲願の「独立宣言」を行えばいいじゃないか、ということになりそうですが、ここにもいろいろ難しい問題がありそうです。上記のような状況にもかかわらず、「中国は武力行使しない」と確証できないからです。そして中国は武力行使の信憑性を高めるために、1996年の台湾総統選挙の際に大規模なミサイル演習を行ったり、2005年には「反国家分裂法」によって台湾への武力行使を国内法によって正当づけたり、同年の中露軍事演習でも台湾への上陸作戦がメニューに組み込まれたりしたわけです。すなわち「中国は本気で武力行使するぞ」と台湾に意図を与え続けることが、台湾の独立を「抑止」する中国の姿勢だというわけですね。

では、台湾はどのように考えているのでしょうか。中国の攻撃が「許容できる損害レベル」(たとえばビル数箇所の破壊等)であれば、独立をしてしまえるかもしれません。ただし中国も当然その「許容レベルを超える攻撃」を常にちらつかせてくるでしょうから、なかなか一筋縄でいきません。そうすると台湾にとっては「武力行使をしたら確実に中国が負ける」(懲罰的抑止)と「中国が攻撃しても台湾は持ちこたえられる(したがって攻撃は無駄だ)」(拒否的抑止)という状況をつくろうとするわけですね。

前者の懲罰的抑止にとって重要なのは、台湾自身の防衛力と米国の介入ということになります。ところが、近年中台関係の軍事バランスは中国側に傾きつつあり、中国人民解放軍の急速な近代化によって、あと数年もたてば制空権・制海権は中国側にシフトする可能性が高いです。

さらに「米国の介入」にも雲行きが怪しくなってきました。ブッシュ政権は2000年の選挙キャンペーンでは「戦略的あいまい性は存在しない」(ライス国務長官)という強い表現で、台湾を防衛する意思を示していました。しかし、2003年から04年にかけてずいぶんその表現を変化させています。中国首脳には「一つの中国」を再三確認するとともに、台湾に対して「一方的な独立は認めない」という立場を強化するようになったからです。この背景には、中国の急速な台頭と米中の経済的な相互依存関係が増大したことがある、といわれています。その中で、やみくもに台湾が政治ゲームにうってでることは、地域の安全をおとしめ、中国の成長市場をも失わせることにつながるからです。

懲罰的抑止にそれほど期待できないとすれば、拒否的抑止を強化することはできるでしょうか。残念ながら、それも厳しい見込みです。例えばミサイル防衛ひとつとってみても、中国はすでに台湾海峡沿岸に700発以上の短距離ミサイルを配置し、数分以内に台湾を徹底的に攻撃できる態勢にあります。おそらくこれだけの数をミサイル防衛で守りきることはできないでしょう。ミサイルの攻撃-防衛のバランスにおいては、すでに中国は勝利してしまったのです。また、台北は歴史的な経緯から民間防衛の仕組みが整っておらず、都市基盤も脆弱です。島嶼地形から戦略的な縦深性にも欠けています。つまり拒否的抑止の効果は限定的といわざるをえません。

こうしたことから、中台関係には「台湾侵攻もできず、独立もできない」という形での現状維持(status-quo)が保たれる可能性がもっとも高いといえます。他方で、台湾経済がますます本土経済に依存するようになれば、独立よりも別の道を探ろうとする考え方が徐々に高まる可能性さえあるかもしれません。2008年には台湾総統選挙が予定されていますが、そこで親中派の国民党が勝利すれば、北京政府との「歴史的な和解」の可能性さえ、想定する必要が生じるかもしれません。歴史は「抑止の掛け合い」にどのような審判をくだすのでしょうか。

〔参考資料〕
[1] Lawrence Freedman, Deterrence: Themes for 21st Century (Polity Press: London, 2004)
[2] Patric Morgan, Deterrence Now (Cambridge Uniersity Press:London, 2003)
[3] US Department of Defense, Quadrrenial Defense Review (Februrary 2006)
[4] Michael O'Hanlon, “Can China Conquer Taiwan?” International Security (July 2000)

投稿者 jimbo : 2006年05月06日 15:39