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2007年04月27日

第2回授業レビュー(その2)

【紛争の定義】

「紛争」は「価値の非両立性に基づく対立」を示すかなり広義の概念です。価値の非両立性とは、ゲーム理論でいう「ゼロサム関係」ということになります。「ゼロサム」とは、損失と利得の総和が全体でゼロになる状態を指します。例えばA(0)+B(0)=0|A(5)+B(-5)=0という状況ですね。この0が不変であるならば、Aの利得はBの損失となり、またその逆も真なりということになります。国家が相手との相対的な損得、すなわち「相対利得」(relative gains)を追い求めるとすれば、互いに(or いずれか一方は)現状変更を受け入れられないということになります。(?、ってなってますか?)

物事はそう簡単ではないのですが、(将来の位置が)「ゼロサム」であると認識したときに、紛争は発生しやすくなります。逆に「ポジティブ・サム」(互いが利益をえる)あるいは「ネガティブ・サム」(互いが損をする)場合は、紛争を回避しやすくなります(もっとも利益・損失の度合いが大きく異なる場合は紛争になりやすい)。これらの紛争の定義は、政治学・社会学・経済学・心理学など多くの体系のなかで試みられてきています。こうした対立と共存のメカニズム関心のある方は、(その3)末尾の参考文献を読み進めてみてください。

この「価値の非両立性」を情念としてとらえたり、またテクニカルにゲーム理論として理解するのは大事なのですが、紛争の分析概念としてはまだまだ不十分です。もう少し紛争の中身を分類学としてみてみましょう。

まず、「戦争」は軍事力・武力行使を伴う紛争で、もっともBrutalなものです。大国同士の戦争を「主要戦争(Major War)」、主要戦争にいたらない規模の紛争を「地域紛争(Regional Conflict)」と区分けすることが一般的です。戦争のなかにも、国家同士が争う伝統的な「正規戦(Conventional Warfare)」とともに、最近では国家以外のアクター(民族、政治・社会集団など)が争う「非正規戦(Unconventional Warfare)」もみられるようになりました。

国家間の紛争に対比させ、こうした国内で生じる紛争を「内戦(Civil War)」と表現します。また、同じ軍事力の使用といっても、小規模なテロ・ゲリラ型の内戦も頻発しており、これを「低強度紛争」(Low Intensity Conflict)と呼んだりします。

「紛争」には軍事力の使用を伴わないものもあります。WTOや二国間経済交渉などで、国家同士の経済利益が対立した状態を「経済紛争」と呼び、また領土問題や国際問題の処理をめぐって国際司法裁判所などで争う「法廷紛争」のケースもあります。近年は、経済的相互依存、通信、国際制度、さらには多国籍企業の利用などが、時には軍事力以上の役割を果たすこともあります(ジョセフ・ナイ、参考書15頁)。これらが軍事的な対立に発展しないということであれば、主張・立場をめぐる「論争」(disputes)として区分けしてとらえてもよいかと思います。また、同じ「争い」であっても、ルールに基づく競合関係については「競争」(Competition)として位置づけることができます。このあたりは、いちおうの言葉の分類を覚えてみてください。

【現代の紛争の傾向:「3つの圏域」論から】

それではここで、現代の世界の紛争の状況について概観してみましょう。かつての帝国主義の時代、第一次、第二次世界大戦のように、主要国同士が総力をあげて戦争をすること―いわゆる伝統的な「戦争」―は、現代では想定しにくくなりました。その理由は、授業でも紹介した「3つの圏域論」のうち「新中世圏」(田中明彦『新しい中世』)に属する先進民主主義国同士が戦争しにくい状況になったからです。ここでいう「新中世圏」というのは、一人あたりのGDPが1万ドル以上、自由主義的民主制を導入し、平均寿命が60歳以上の国を指します。OECD諸国などがこれにあたるわけですね。


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これらの国々同士は、1)核兵器や高性能兵器の登場によって、戦争のエスカレーションによる被害が甚大になったこと(リアリズムによる分析)、2)経済的相互依存関係・高度な都市化・少子化が進行し、紛争による損失への意識が高まったこと(リベラリズムによる分析I)、3)民主主義によって政策決定が多元化したことにより戦争が実行しにくくなった(リベラリズムによる分析II ⇒ いわゆる”Democratic Peace”やや根拠は弱い)が挙げられています。多くの学者が現代では「主要国同士の戦争は不可能になった」とも論じています。ただ、現代では中国・ロシア・インド・ブラジル(BRICs)の台頭や、中小国への核拡散の懸念など、現代の「前提」がどれほど長期的な傾向となるのかは、必ずしも明確ではありません。

ところが「近代圏」に属する国々や、ガバナンスが欠如した破綻国家群「混沌圏」においては、未だに武力紛争が生じやすい状況にあります。「近代圏」にある国々は、国家建設・経済建設の過程でナショナリズムが強化され、また国家権力が強固な国々が多いのが特徴です。これらの国々では、場合によっては武力によって紛争を解決する手段をとる場合があります。1980年代のイラン・イラク戦争、2000年代のインド・パキスタン紛争などはその典型です。

また「混沌圏」では、ガバナンス自体が確立していないために、国家が軍事力や国内の武器を管理できず、分散したアクターが武器を所有し、互いに争う「内戦」が頻発しています。実際、スウェーデンのウプサラ大学の「紛争データ」ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)年鑑をみると、現代の統計に表れる紛争のほとんどは「内戦」の形態をとっていることがわかります。

現代の内戦は、欧州(バルカン半島・少数民族の独立)、アフリカ(西海岸、太湖地域)、中東、アジア(南西アジア、南アジア、東南アジア)、ラテンアメリカなど、世界的な現象としてみることができますが、とりわけ「破綻国家型」の内戦が多いのは、アフリカ大陸です。ソマリア、ルワンダ、ブルンジ、スーダン、コンゴ、アンゴラ、リベリア、シエラレオーネ、西サハラなどで内戦、抗争などが多発しています。

もうひとつ重要なことは「新中世圏」の国々と「近代圏」「混沌圏」との係り合いです。「近代圏」の争いに対して、「新中世圏」の国々は多くの利害関係をもっているケースが多いからです。朝鮮半島における南北対立も、米韓同盟が関与しています。中台紛争(中国からみれば国内問題という位置づけ)も、米国や日本の関与によって国際紛争に転化する性質をもっています。また、米国を中心とする主要国が戦争を起こすケースもあります。湾岸戦争、コソボ紛争(NATOの空爆)、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、さまざまな形態で大国が紛争に関与してきたわけです。

そして最後が、国際テロリズムです。これは「3つの圏域論」ではなかなか分類できない、空間横断的アクターです。これについては、次回(第3回)詳しく扱いましょう。ここでは現代の「紛争」が、「3つの圏域」の中、そして各圏域同士の相互作用の中から、ことなる形で表出されるということを押さえておきましょう。

【紛争はなぜ起きるのか:3つの類型】

世界に頻発する紛争については、さまざまな原因があります。100の紛争には100通りの原因と経緯があり、一概に括ることは困難です。とはいっても、それだけでは紛争研究として捉えることにはならないので、ひとまず大きなカテゴリーで理解することを試みてみましょう。それぞれのカテゴリーには重複する性質も多いため、あくまでも目安としてください。

[1] 生存(survival)と自助(self-help)を求める紛争

1929年の不戦条約、1945年の国連憲章を経て、国際社会において広く戦争は「違法化」されました。しかし、現代の国際法でも戦争に関する2つの例外があります。ひとつは、国連憲章第51条に基づく個別的および集団的自衛権の行使にあたる場合です。国家は犯すことのできない自然権としての自衛権を保有し、これを行使できるという考え方です。国内法における正当防衛や緊急避難にも通じる考え方ですね。もうひとつは国連憲章第7章に基づく集団安全保障による武力の行使です。こちらについては、国連の安全保障を扱う回にじっくり説明します。

国際社会において侵略、武力による攻撃・威嚇の危機に瀕する国は、これに対抗する権利があるということですね。近年のケースとして挙げられるのは、1960~70年代のベトナム戦争(北ベトナム側の視点)、1979年ソ連のアフガニスタン侵攻、1990~91年のイラクのクウェート侵攻、チェチェン紛争などが挙げられます。しかしながら、侵略戦争に対するコストが著しく高くなった現代において、こうした旧来の「生存」型紛争は、比較的生じにくくなっているのは事実です。

しかしながら、近年新たに浮上している[1]型の紛争は、国家の統治能力の低下した「破綻国家」内において、無秩序な殺戮や暴動などが起こっているケースです。国家統治が破綻しているということは、警察や治安組織はもとより、水道・道路・電気といった基礎インフラが整わず、安全や生活基盤が公共的に提供されていない状況に陥ります。こうした秩序の「弛緩」した状態において、生存と自助を維持するためには、民兵のような組織が武装して秩序を担保する必要があります。そしてこうした民兵組織の乱立は、法制度や公的制裁のない荒れた秩序のため、(その3)で述べる「妥協による共存」や「ルールの設定」が著しく難しい状況になります。

[2] アイデンティティ(identity)と(民族)自決(self-determination)をもとめる紛争

現代の紛争において[2]のカテゴリーは、もっとも多くのケースが集まるといっていいでしょう。紛争が「価値」を発火点とする以上、現代のほぼすべての問題は多かれ少なかれ[2]に収斂するといってもいいかもしれません。最近の傾向をみると、1) 冷戦の崩壊によって、それまでの「帝国」型のシステムが解体し、紛争に発展するケース(旧ユーゴスラビア、旧ソ連邦諸国)、2)民族ナショナリズムによって主権国家から分離・独立しようとするケース(チェチェン、ナゴルノ・カラバフ、北アイルランド、バスク、ドニエストル、グルジア、アチェ、イリアンジャヤ)などが挙げれれます。

[3] 領土・領海・資源の帰属をめぐる紛争

国家間紛争でもっとも多いパターンは、領土・領海・資源などの国境をめぐる紛争です。インド・パキスタンは長年カシミール地方の領有をめぐって戦火を交えてきました。また南シナ海にある南沙諸島については、中国・ベトナム・フィリピン・台湾・マレーシア・ブルネイの6つの国・地域が領有権を主張する係争地です。我が日本も、ロシアとの間で北方領土、中国と尖閣諸島、韓国とは竹島という「問題」を抱えています。

[4] 伝統的統治秩序(パトロン・クライアント関係)と市場経済の衝突による紛争

「混沌圏」に近い「近代圏」、つまり政治的近代化を達成していない国では、部族・親族・民族・有力財界の権力者が支配する、伝統的社会の構成がみられます。これをパトロン・クライアント関係といいます。こうした国にも、経済的相互依存やグローバリゼーションは影響し、市場経済の導入をはじめとする、自由主義的な価値観が徐々に浸透するようになります。納家論文は、このパトロネージ・システムの「弛緩」による紛争のパターンとして、1)支配者の利益の独り占めの状況による他集団との対立、2)専制体制の崩壊による集団間の均衡の崩れ、3)国民形成における多数派に入れない少数派の急進化、分離・独立運動、4)急速な都市化と農村・都市人口の流動化に伴う都市型のパトロネージ・ネットワークの再編・・・、という4つの分類を挙げています。とても鋭いと思います。

[5] 利益配分(value distribution)や異議申し立てをめぐる紛争

[2]のアイデンティティをめぐる紛争は交渉による妥協や利益の分割が比較的難しい分野です。しかし紛争の争点が、比較的分割やトレードが可能な分野であれば、利益配分を変化させることにより、紛争に効果的に対応できるかもしれません。交渉の余地がある、ということです。(その3)で学ぶ紛争の管理・解決の枠組で扱う「妥協」や「制度による調整」は[1]や[2]の紛争を[3]の性質に変えていくことを意味しています。損害を賠償というかたちで別の交換単位(財貨など)に変えていくことも、これにあたります。民主制度を導入したての国が、選挙後に組織された政府の代表のされ方に満足いかず、少数派が過激化するケースはよくみられます。

(つづく)

投稿者 kenj : 2007年04月27日 10:53

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