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2007年05月13日
第5回授業レビュー(その1)
第5回授業は「民族・宗教・国家建設をめぐる紛争I」と題し、そのケース・スタディとして「レバノン紛争」を取り上げました。本当は冷戦後のユーゴスラビア紛争(ボスニア紛争・コソボ紛争)を取り上げようか悩んだのですが、より「現代の紛争」に即して授業をすすめるという主旨から、レバノンを選びました。また、前々から予告していたアフリカの紛争については、次回にじっくりと学んでいきましょう。
【「空間軸」からみたレバノン紛争】
今回のレバノン紛争は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻につづく「第2次レバノン紛争」とも呼ばれています。ことのはじまりは、2006年7月12日にヒズボラ(レバノン南あ部を中心に活動するシーア派系イスラム勢力)が、レバノン領内からトンネルを掘ってイスラエル領の駐屯地に侵入し、イスラエル兵2名を拉致したことがきっかけでした。前月にも、ガザ地区でハマス(パレスチナ地区で活動するイスラム主義団体)によるイスラエル兵拉致事件が発生した直後の出来事でした。イスラエルは即時の報復措置として、ガザ地区に地上軍による侵攻を開始し、レバノンに対する空爆を実施しました。その後、8月14日の停戦までの累計34日間にわたって、さまざまな局面で戦闘が繰り広げられました。そして、8月11日に国連安保理決議1701号が採択され、現在は紛争の収束をどのように図り、そのプロセスを恒常化するかという状況にあります。
この34日間の様々な戦闘において、、レバノン側で兵士と民間人の死者が1,000人以上、負傷者は3,500人以上にのぼりました。もっとも、この数字は算定手段や情報源によって大きな幅あります。また、インフラ損失は、これも計算の仕方によっていろいろ違いますが、主な建物、公共施設、橋、インフラを含めて150 億ドル以上にのぼると言われています。イスラエル側では死者が200 人以上、負傷者が1,000人以上にのぼりました。近年としては、比較的規模の大きい武力衝突が1ヵ月間にわたり展開されたのです。
この1ヵ月間のレバノン紛争プロセスを「安全保障と国際紛争」で学んだ「空間」と「時間」の概念をあてはめてみると、どのようなことが分析できるのか。一緒に考えてみましょう。
まず授業で紹介したように、中東紛争には第一次世界大戦以降のアラブ独立とシオニズム(それに遡るキリスト教世界とアラブ世界の対立も含む)の長い歴史と、民族、宗教、国家主権をめぐる根深い対立が存在してきました。1947年のパレスチナ分割決議とイスラエル建国に端を発する第一次中東紛争以来、イスラエル・パレスチナ・アラブ諸国は4度にわたる紛争のほか、多くの散発的な衝突を繰り返してきました。イスラエルの国境と、パレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地域、ゴラン高原、ガザ地区)、さらにはユダヤ教・イスラム教双方の聖地である東エルサレムなどが係争地となり、その帰属問題はイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)・PLOと一戦を画す諸団体との対立を中心に、パレスチナ情勢を著しく複雑にしてきました。
このパレスチナ紛争を一旦収束させたのが、冷戦後の米国・クリントン政権が推進した中東和平プロセス(パレスチナ・トラック)でした。1993年9月にはパレスチナとイスラエルが「相互承認」(共存)を前提として、パレスチナの暫定自治原則を認める「オスロ合意」が成立しました。この合意に基づいてどのように恒常的な平和プロセスのロードマップを敷いていくか、ということが中東和平における重要な前提でした。ところが、このオスロ合意の「相互承認と共存路線」が近年脆弱性を増して、それぞれのアクターが「相互否認」に傾く破綻リスクがかつてなく高まってきたのです。なぜなのか・・・?を考えることが、レバノン紛争を考察する鍵となります。
そこで、こうしたパレスチナ問題の構造変化を授業で用いた「空間軸」をつかって考えてみましょう。第一の構造変化は「当事者間」すなわち「イスラエル・パレスチナ対立」です。たとえば「ヒズボラ」は、従来より米国にテロ組織と指定され、これまで政治のアクターとしては周縁部(periphery)に置かれていました。ところが、現在では正当に選挙されたレバノン議会で議席を確保し、閣僚ポストも有する、れっきとした政治・社会組織になりました。また「ハマス」も2006年1月のパレスチナ評議会選挙で多数党となり、民主主義のプロセスを経たアクターに変貌しました。すなわち、かつての周縁アクターが内なる正当化のプロセスを経て、正規アクターとして浮上したわけです。いわば国家の、ネーション・ステート(nation state)としてのシステムに内部化されるプロセスが生まれてきた、というのが一つの大きな変化です。
第二の構造変化は「リージョナル」な連携関係の強化です。これは、各アクター間の「相互承認」と「相互否認」の交錯する動向のなかで、「相互否認」を前提とする勢力同士がお互いにネットワークを組み合うことを意味しています。「現状否定(共存拒否)勢力同士の連携」ということでは、特に(イラン-シリア-ヒズボラ)関係、(シリア-ハマス)関係が重要です。この関係につきましては後程改めて問題提起してみようと思います。前段の構造は「レバノンとヒズボラとシリアとイスラエルとの関係」という、二国間あるいはサブリージョナルな関係として見た場合のレバノン紛争でした。しかし、第二の構造は広域中東における「イスラエルの伸長とイランの勢力拡大をめぐるリージョナルコンフリクト(regional conflict:地域紛争)、イスラエルとイランの代理戦争的な意味を持った地域紛争 が今回のレバノン紛争の本質なのである、というふうにとらえる見方もできるわけです。
そして第三の構造変化は、「グローバルな対テロ戦争」の一環としてレバノン紛争をとらえる見方です。つまりイスラエルが対テロ戦争の一環としてヒズボラを位置づけているグローバル・コンフリクトであるという捉え方です。ヒズボラ・ハマスについては、反イスラエル運動というローカルな団体であり、グローバルなテロネットワークとは無関係である、という立場をとる論者もいます。しかし、ヒズボラがソマリアにおけるイスラム武装勢力の反政府闘争を人員・物資両面から支援し、その先にアルカイダへの関与が考えられる・・・、ヒズボラとイランとの関係強化によって、イランが支援する他の団体とのリンケージも強化された・・・、という情報が飛び交う背景には、ヒズボラがレバノン南部のローカルな団体ではなく、グローバルな志向性をもった国際組織であるという位置づけがみてとれます。こうした情報についての裏づけは、十分とはいえません。しかし、イスラエルやアメリカの保守派の一部が、「対テロ戦争」という名目で今回のレバノン紛争を捉えていたならば、この紛争の「グローバル」な空間軸についても、十分に検討がなされなければなりません。
(つづく)
投稿者 kenj : 2007年05月13日 11:44
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