《CAVEの共同[形]成》 ConFIGURING the CAVE
ずいぶんとむかしになってしまったんだ、つながりで。
ジェフリー・ショーの《CAVEの共同[形]成》。
http://www.ntticc.or.jp/About/Collection/Icc/CAVE/statement_j.html
没入型ディスプレイであるCAVEが一般に公開されていたのは、当時ICCだけであった。3Dメガネをかけて入る四畳半ほどの部屋。そこに現れる3DCGの空間は、まるで無限に広がっているようでもあり、またCGが自分の身体を突き抜けていく様子は、とても驚きの体験であった。
CGのインタフェースとして空間の真ん中に置かれていたのは、身長で言うと150cmぐらいの木製の人形:パペットだった。素材はたしかチェリーだったかと思う。手触りはさらっとしていてかつ、ぎっしりと硬い。パペットの身体の向きや手足や首の関節を曲げると、CGがさまざまに移り変わってゆく。
観客はCAVEの中に4、5人入り、ICCのお姉さんがその人形をぐりぐりと動かしている傍で映像を体験する。最初に見た時は、単にCAVEってすげぇと思ったけれども、なぜ人形が置いてあるのかインタフェースが人形であるのか理解できなかった。
最初はむしろ「ふーん」という類いの感想。
ICCのオープニング展「海市」やICCビエンナーレの作品「Buy One Get One」のプログラミングを担当していたこともあり、ICCの石川さんからCAVEを使って何かやってみませんか?と新たな機会をいただいた。
電通大からリモートログインしたりICCの机をお借りしながら、CAVEライブラリの入ったSGIでプログラミングをしていた。
パペットの関節にはセンサーが入っていて、関節部分の接触が悪いのかケーブルが切れているのか、けっこう調子が悪くなっていた。自分のプログラムを動かしてみる時やパペットを修理に出す時など、石川さんと一緒にパペットを抱きかかえながら何度も支柱から外したものだった。
#このパペットが、とにかく重い。
なんでこんなに重いのか。なんでこの肌触りの木で作ったんだろう。そう思っていた。プラスチックやFRPで軽く作れば関節に負担はかからないだろうし、パペットはスケッチの練習で使うポージングの人形と同じデザインだったからもっと小さく作っても良いだろうに…。
プログラミングはまずはシミュレーターで動かすのだが、マウスとキーボードで操作をするし19インチモニタの中で動作しているので、身体を動かすこともないし、中を動き回ることも出来ない。まずはGLUTライクなCAVEライブラリを習得しながら、どんなことをやろうかと試行錯誤をしていた。
そしてある程度シミュレータでプログラムが動くようになり、CAVEでのテストをした。それはとても違和感のある経験だった。シミュレータで動かすのと、空間の中に入ってのとでは、まったくの別の経験だったのだ。それは自分にとって、以降とても重要な経験となる。
自分のプログラムではアイコンとして機能する2次元平面の絵を空間の中に浮かせていたのだが、その絵の大きさや高さが身体とどういう関係にあるのか?によって、同じ絵のはずなのに別の意味を帯びたような気がしたのだった。
何センチ相当の大きさで胸の高さぐらいに並んでいると頭の中では考えたつもりでシミュレータ上で作っていたのだが、実際に身体性を伴う空間の中では、胸の高さ・腰の高さ・膝の高さ・足の高さに同じアイコンを並べてみると、それぞれ意味が違うように感じたのだった。もちろん縮尺のかかった模型と実際の建築の違いに相当するのかもしれないが、それだけでは無いような気がした。
その時にはっと気づいたのだった。
《CAVEの共同[形]成》は『空間と身体と意味の関係』を問うているのだと。
パペットは人と近しい大きさと重さで肌触りも温かくなければならなかったのだと。ただ3DCGをぐりぐりと動かすためにパペットを使っているのではないということを。CGもリアルな映像ではなく抽象的な概念が多かったが、概念や意味を操作するインタフェースは身体であるのだ、ということを。
空間の移動と身体の動作と言葉の意味の関係。
そうした問題意識は、後の自分の作品である「Narrative Hand」「時空間ポエマー」「記憶の告白 - reflexivereading」へとつながっているように思う。
その後にドイツに行く機会があったので、学芸員の後々田さんに紹介してもらい、ZKMのジェフリー・ショーを訪ねた。ZKMのカフェで2人。正直なところ、ジェフリー・ショーは最初はかなりめんどくさそうだった。まぁどんな奴かも知らない日本人と初めて話すのだし、どこからどう見てもただの学生にしか見えなかっただろうし。
しかし、自分がICCのCAVEでプログラミングをしたこと、あなたのパペットを担いで外すという経験を通してなぜあの大きさであの重さにしたのかが分かりました、とたどたどしい英語で伝えた時、急にジェフリー・ショーの反応が変わった。そして、レジブル・シティの自転車で身体を使って移動することの意味とパペットの関連は、筋肉へのフィードバックなんだと思っていると話すと、ジェフリー・ショーも饒舌に語りはじめ、ZKMの奥の奥まで案内してくれたのだった。
楽しくオモシロいインタラクティブ・アートではなく、何かの問いをともなうメディア・アートを作りたい。いまでもそう思っているのは、パペットの意味に気づいたあの時の、静かでいて激しい興奮を、忘れることはできないからかもしれない。
CAVEで作ったその検索システム。Augmented Virtualityのひとつ?か。