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縁取りがないということ

ドイツ文学者であり美術学者でもあった鼓常良教授は、日本美のエッセンスについてラウメンロージヒカイト(Raumenlösigkeit)「縁取りがないこと」であると、川喜田二郎に語ったという。

川喜田二郎, ひろばの創造 - 移動大学の実験, p.157, 中公新書 (1977).
「どういうことかというと、たとえば西洋の油絵だったら額縁があって、その中に描かれた世界ははっきり完結している。ところが日本の美ではそうではない。
 たとえば部屋の床の間に掛け軸がかかっている。その絵は床の間におかれたときはじめて生きる。では床の間はそれだけで完結しているかというと、部屋の中の床の間としてはじめて意味をもつ。さらに、その部屋すらも完結していないのである。障子があれば濡れ縁があって、部屋は外の自然と連続している。室内の世界が無限に外の世界に拡がっている一方、外の世界もまた室内に入り込んでいる。部屋の世界の延長として外の世界がある。どこまでいっても完結した縁取りがない。限界がない。これがラウメンロージヒカイトである。」

マルチスケールメディアが持つべき性質はこの「ラウメンロージヒカイト:縁取りがないこと」であるように思う。英語であればseamlessやsmoothとなるかもしれないが、少し違いがあるようにも思う。そのひっかかりを大事にしたい。鼓常良さんの著書は美術については戦前のものも多く入手するのが難しいものもあるが、実際に手にして読んでみたい。