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reflexive : 再帰性と身体性と経済と都市と

ジョージ・ソロス ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ

ソロスは「再帰性 reflexibility」と「可謬性 fallibility」という概念を持って経済という社会現象を説明しようとし、それが従来の均衡理論とはどのように異なるかを説明している。

再帰性とは、人は世界の一部であるために、その世界を完全に理解することはできず、またある理解を持っていたとしても、その世界に対し操作を加えたとき観測される世界はさっきまであった世界とは異なっている、と考える。そのため「正しい」という情報を人は知ることはなく、必ずしも正しくはない解釈を持つと考える。
ソロスは人が世界を合理的には理解できないと考え、理解できないスキマを埋めるものは直喩や暗喩、習慣、儀式などであると考え、レイコフにも言及している。

ちなみに経済学の初歩的な勉強をしたのはずいぶんと昔だが、都市シミュレーションに市場のモデルを使った時。世界を無限と考えていたような時代から世界は有限であると認識した時代へと変化してゆく際に、都市のデザインはどう変わるのか、ということを考えたいと思い、cobwebモデルという市場モデルを使って売り買いをするエージェント達のシミュレーションを作った。

中西泰人: ネットワークと都市デザイン, 情報処理学会研究報告, Vol.97, No.62, pp.1-6 (1997). cinii


そして平野さんと作った「記憶の告白」のサブタイトルは「reflexive reading」としたのだったが、それは、他者の言葉をきっかけにしてある個人の記憶を自身が再帰的に読み込んでいった場合、何らかの誤りが発生するもしくは合理的な判断が出来ない場合を補うものになるはずだ、というような認識で作ったものだったからである。

「記憶の告白」では、再帰的に自己に言及する際に発生する意味と身体の関係を考えてみたいと思い、紙の上に定着された静的な言葉を手の上で読むことと、身体的なスケールで動的に迫ることばにある程度の重さがあり両手でしか持てないようなインタフェースでアクセスすること、を対比させたいと考えた。

[reflexive]という言葉で、都市のシミュレーションをやった時のことと、記憶の告白がつながったような、つながらなかったような。

しかし、その契機がジョージ・ソロスと金融危機であるとは夢にも思わなかった。
世界や人間を理解したいという欲求は哲学・文学・経済学でも共通している、ということか。地図もそうだろうな。

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