アーキテクチャとシステム論的な都市計画
先日、東工大の世界文明センターで行われた「アーキテクチャと思考の場所」という講演会を聴講してきた。http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60
その告知の中に
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建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。
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とある。これらが多元的な系として環境を構築しつつある中で、特にコンピュータ・システムが影響力を増していること、個人が作ったようなサービスが事後的に公共性を帯びてゆく可能性があることにどう応対してゆくべきか、ということが議論の焦点のひとつだった。
この中で浅田彰氏は、マクルーハンのメディア論の頃とあんまり言ってること変わってないよね、といったようなことをさらっと言っていた(w)。
歴史は繰り返すし、異なる極を振り子のように行き来するものだ。都市も造形デザイン、システム論的なアプローチ、造形デザイン+市民参加、という大きな変遷の歴史がある。
日端康雄 都市計画の世界史 講談社現代新書
p.308より
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二〇世紀の前半の都市計画家の仕事は、プランを実際につくり、プランを実施する法律制度などを整備し、それを実行することであった。それに対応して、都市計画教育では必要なデザイン技法と都市計画制度の知識が教えられた。
五〇年頃から、一九世紀末からの社会改良主義の都市計画は次第に影をひそめ、システム理論を取り入れた計画技術に重点が置かれるようになっていった。
科学的都市計画の発想は先程触れたP・ゲデスに始まる。彼は、都市計画における継続的調査の必要性を訴え、計画の目標、予測、点検、評価などの一連の循環的プロセスを都市計画の根本に据えようとした。これはシステム論的都市計画のはしりであり、各国の都市計画制度にもこのプロセスは反映している。
W・アイザードの立地理論や、活動と土地利用の交通システム論、N・ウィナーのサイバネティックスなどの科学的成果が、人口爆発、高度消費社会、工業技術の発展などによって、大都市化が進む都市計画の重要な理論となった。とくに、政府部門に交通、防災、環境管理、危機管理などの課題への対応が求められるようになった。
巨大な都市全体をコントロールするには、専門的な調査データやシミュレーションが必要である。そこでは、さまざまな科学技術とシステム科学を活用して管理するようになった。また、全体の都市計画に必要な膨大な調査データや複雑な仕組みを市民に理解してもらうために、都市の骨格的要素やその構造をとらえ、ダイアグラムのようなわかりやすい図で表現されるようになった。
都市空間の造形デザインから離れて、システム科学を応用した都市計画へ重点が移った。都市計画はコントロールとモニタリングの継続的プロセスになったのである。
その結果、次第に市民の関心からかけ離れたところで都市計画が動いていくようになった。また都市システムは自然システムのように、一元的で決定論的なものではなく、多元的で確率論的なものなので、システム・アプローチの限界も見え始めた。
七〇年代になると、都市計画の現場では、開発や、道路などの都市施設の計画を巡って政治的対立が頻発するようになった。また、地域の問題は地域で決めるというような、都市計画の意思決定に関する政治的、組織的アプローチが多様化していった。そしてもはや市民の感覚でとらえられない都市計画から、人々は市民参加のまちづくりや造形的な都市デザインに関心が移っていくようになった。
市場主義の工業社会のもとで巨大化し広域化した近代都市は、都市全体を一体的にコントロールする領域と、建築的な街区レベルの都市デザインを考える領域と、市民が共同的に決めていくまちづくりの領域が分化してきた。これは現在の先進各国の都市計画制度そのものである。
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人の不可視なものに対する不安感は今も昔も同じである、ということだろうか。
そして、この次に文章をついでゆくとすると、様々なアプローチが列挙され得る。コンパクトシティやクリエイティブシティ、シティマネジメント、タウンマネジメント、サステナブルシティ、エコシティ。
City MashUpやCity Compileも?トップダウンな計画ではないところからすると、↑で議論されたひとつであるローカルでボトムアップな実践をお上の計画とどう共存させてゆくのか?という課題を抱える場合もあるだろう。
岡本裕一朗 ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会 ナカニシヤ出版 も参考になる。