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アーキテクチャの向かう先は?学習と創造?

創造するアーキテクチャの、地盤、大地、河・川、花というメタファーの続きを。

農業が主産業の時代には治水は王様や殿様の事業だった。江戸時代には高速な物流インフラとして運河が巡らされた。
 river.addSubPath();
 river.changePath();
オブジェクト指向的な表現であれば、こう書けるだろうか。

都市工学は、こうした作業を近代的に行うものであった、と言えるかもしれない。
 new Land();
 new Town();
 land.addVerticalLand();  // 高層ビル
 land.addHorizontalLand(); // 鉄道や道路による都市の拡張
のために。

先にも触れたCommunity Super ImposingやPost University Packは、計算機(メインフレームとそれに接続された多くの端末が想定されている、コンピュータというよりも計算機と呼ぶ方がしっくりとくる)があるという前提で都市を作る場合、何を要素とし、どういうプロセスでそれらを組み合わせる設計を行い、どういったカタチをつくり出すか?ということが提示されている。

メインフレームを中心に考えられた都市でもあるので、
 new ControledLand();
という感じがするが、管理や計画という近代的な枠組みの中で、人間が行うべき活動は、創造や学習である、とされているところが逆説的でもあり興味深いところでもある。

 new AugmentedLand();
 new ConnectedLand();
が目指すべきところは何だろうか。

ORFの別のセッション「ものづくりと知の融合(筧康明、増井俊之、中西泰人)」では、何のためにインタラクティブなシステムを作っているのですか?という質問があった(ややあいまいな記憶)。知能増幅です、と自分は答えた。

学習と創造、とも大差ないように思えるが、どういった社会にすべきか?というゴールまで考えた道具をデザインするのか、何かをつくり出すかまでは関与できないけれども人が持つ知能を増幅する道具を作りその結果として何がどうなるかまでは予測しない(できない)という立場の二つに分かれるかもしれない。
それは、ユーザ中心志向デザインとタスク中心志向デザインの違いかもしれないし、コンテンツ派とアーキテクチャ派との違いにも近しいのだろうか。まだ良く分かっていないところでもある。