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ものの洪水とWhole Earth Catalog

1968年にアメリカで出版されたWhole Earth Catalog。先のエントリーでも触れた

このWhole Earth Catalogをカタログという視点から解説している文章に、デザイン評論家の柏木博の「デザイン戦略―欲望はつくられる」 (講談社現代新書)があった。

一部を引用してみる。
● ものの洪水とカタログ雑誌の出現 p. 152
一九七三年のオイルショックの頃から、しだいに「カタログ」形式の出版物が目立って増え始めた。その直接的なきっかけになったのは、一九六八年にアメリカで"Whole Earth Catalog"が出版されたことであろう。それは、ひと口で言えば、氾濫しすぎた情報を、カタログ形式で再編することで、生活環境そのものを新たに再編しようとするものであったと言えよう。一九七五年に出された「全地球」ならぬ『全都市カタログ』(JICC出版)というカタログが日本でも出版されるが、こうした出版物なども、そうした意図を持っていたという気がする。しかし、このカタログ形式の出版物はやがて『アンアン』や『ノンノ』といったファッション雑誌や、PR誌にまで方法論として引用されていった。
 カタログ形式の出版物が増大したということは、単純に言ってしまえば、情報の氾濫があったということだ。そして、七三年頃からしだいに増え始めたカタログ形式の出版物の多くが、ものをカタログ形式で見せるものであったということに注意しなければならない。『アンアン』や『ノンノ』といったファッション雑誌がやったことも、ものをカタログ形式で見せるということであった。
 つまり、一方ではオイルショックをきっかけに、経済成長に対する危機感が出てきて節約が叫ばれていながら、他方では、カタログ化しなければ、もうどうなっているのかわけがわからないほどのおびただしく膨大なものが氾濫していたのである。

● カタログ雑誌のパラドクス p.155
七〇年代後半から八〇年代にかけて『popeye』や『BRUTUS』といった、全ページコラム風のヴィジュアルマガジンが続々と出てくる。こうした雑誌は、新旧とりまぜて、わたしたちの身の回りにあるものについて、実にフェティッシュに解説している。
「カタログ」形式の出版物にしろ、ヴィジュアルマガジンにしろ、わたしたちの理解をはるかに越えた、膨大なものの氾濫があったから出てきたものだと言えよう。
 一九六〇年代の半ばに、あらゆるものが、有用性(実用性)によってではなしに、イメージ(意味)として消費されるという、大きな出来事が起きた。ものはコトバと同様に、わたしたちが外界とかかわって行くための根源的メディアであると言えよう。したがって、もし、わたしたちが、もののイメージ(意味)に関して理解不可能な状態が起ったとすると、わたしたちは外界とかかわっていく根源的なメディアを失ったのと同様の気分にさらされるはずなのだ。外界とかかわっていく根源的なメディアを失うということは、自らの存在感が感じられなくなっていくということでもある。

太字は筆者が傍点。

世界を導いてくれるガイドとしての、カタログやヴィジュアルマガジンの役割をWebも担いつつある今、膨大なものと情報に囲まれて生きる人々が自らの存在感を見出すための根源的なメディアは何だろうか?と考えて、それがメールやSNSやtwitterといった他者とのコミュニケーションになっているのだとすれば、ものが売れなくなっている理由もそこにあるだろう。そうしたメディアを内界や自己とのコミュニケーションに振っていくことを考えると、自己啓発的な勉強本が売れるのもそんな理由かもしれない。

そのどちらでもありながらどちらでもない、そんなメディアとしてワークショップやアイデアキャンプがある、そんな風に考えても良いのではないか。そうふと思った。


1960-70代のヒッピーカルチャーにも大きな影響を与え、スティーブジョブズのスタンフォード大学でのスピーチでも引用された「Stay Hungry Stay Foolish」という言葉は、Whole Earth Catalogの最終号に書かれたメッセージでもあった。
今はWebで見る事もできるhttp://www.wholeearth.com/