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生活の中に直接性を取り戻す

北山耕平さんの「雲のごとくリアルに 青雲編」の中で、ぐっときたところを。

● 15 「自分の生活の中に直接性を少しずつでも取り戻す」ためのマニュアル作りをはじめようではないか
(略)
十二月に書店に並んだ『宝島』の一九七五年一月号は「誌面一心大躍進号」と銘打たれていた。三十代以上向けの企画と、二十代や十代向けの企画が見事に色分けされており、それはまったくもって当時の状況—なんの?編集部の!—を見事に映し出した編集がなされていた。大特集は「シティボーイ宣言」というものだった。このコンセプトを提言したのは片岡義男さんだったが、企画をまとめるのはぼくに一任された。「どうしようもなく都市で生きなくてはならない」世代をはっきりと読者対象として絞り込む時代がきた、という認識が編集部に生まれつつあったことは間違いない。これはつまりぼくたちが新しい雑誌の読者の基盤を都市で育った人間にシフトするとはっきり認識した瞬間でもあった。

そのシティボーイ宣言は、都会の子であることを運命づけられた最初のぼくたちの世代を「直接性をあらかじめ喪失した都市生活者」と認識するところからはじまっている。宣言はこう書く。「ピーナツ・バターが農村の人のための保存食ではなく、都会の人たちのための消費物資となったとき、そこに都市が成立する。都市に住む人びとは、間接的な消費者なのだ。そしてこの間接性は、おカネが支えている」と。「おカネを支払えばたいていのものは手に入るが、ものごとの真実には直接手で触れることができない」そしてこの自覚にたって「自分の生活の中に直接性を少しずつでも取り戻す」ためのマニュアル作りをはじめようではないかと続く。
(略)
シティ・ボーイの特集は、「文明の終わり」「地球そのものの崩壊」という巨大な絶望を、いつでも視野の片隅に入れておくことを、おそらく日本のどのメディアよりもはやく、コマーシャルではない地点から訴えかける特集でもあった。「どう考えても、もう救いようなどのない文明のなかにとりこまれてしまっているぼくたちには、もはやなにものもない。そう思ってあたりをながめると、そこには、大量生産システムから送り出されてくる安価な商品がある。どうにでもなれといった、やけっぱちで、考えてみれば消極的な自己認識のうえにたつシティ・ボーイなのではなく、むしろ、ぼくたちにはすでに自然などというものはなく、システムの最末端としての商品しかないのであり、だからこそそのような末端商品を馬鹿にすることなく、ぼくたちシティ・ボーイはぼくたちの技術・思想をつくり出していかなければならないのだ。資本主義とは、ものを買うことによって成りたっている社会なのだから、それをいつのまにか買わされていたシティ・ボーイが、あるとき目覚めると、世界は音をたてて一変する」(『宝島』シティボーイ宣言・一九七五年一月号より抜粋)

未完 という文字で終るこの本では、その後にカタログ的雑誌の代表のような「POPEYE」や「BE-PAL」の創刊にも関わり、アメリカ先住民族の老人“ローリング・サンダー”と出会っていく北山さんの長い長い話の序章である。

「どうしようもなく都市に出ていかなくてはならない」世代の葛藤を描いたのが、安部公房などの小説であるとすれば、「どうしようもなく都市で生きなくてはならない」世代を経て、平野啓一郎「決壊」や「ドーン」や東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」が「どうしようもなくネットに生きなくてはならない」世代の葛藤を描いていると言えるだろうか。

「自分の生活の中に直接性を取り戻す」意識の高まりは、自分で食物を作る、自分で仕事をつくる、自分でネットサービスを作る。いろいろな方法がある。
間接性に翻弄されていると気づいて少しでも自分の生活の中で自分で舵取りをしている部分を増やすというのは、自己効力感を増すだろうし、大げさかもしれないけれど「生きている」と感じることが増えるだろう。たとえ、どう考えても、もう救いようなどのない文明のなかにとりこまれてしまっているとしても。

イリイチのコンヴィヴィアリティのための道具、西村さんの自分の仕事をつくる、北山さんの自然のレッスン、BE-PAL。安部公房、平野さん、東さん。と本を並べてみて、そんなことを思った。