電子書籍としての「記憶の告白」
まだ原稿が出来上がっていないのだけれど、、ユリイカの電子書籍特集号に寄稿させてもらうことになった。
いぜん平野啓一郎さんと作った「記憶の告白」も文章と対話するインタフェースという観点からすれば、電子書籍として考えられますよね、という提案を受けてのことだった。自分でもそうだったのかー、と思った。
何を考えてあの作品を作ったか、あの作品を作って何を考えたか、ということをエッセイ的に書こうと思っている。
今年は「電子書籍元年」らしいのだが(3D元年でもあります)、この機会に5冊ほど久しぶりにマクルーハンをざっと読んだ。最近はこうしたメディア論は語られなくなっているが、ovallinkでエンゲルバートを熱く語る会も催されたり、iPadやiPodなどの触覚的なメディアが広まっているので、また色々なところで取り上げられることだろう。
原稿はと言えば、一次元的に文章が並べられた紙とそれにアクセスするインタフェース、多次元的に並べられた文章とそれにアクセスするインタフェース、そしてそれらの違いが意味や解釈に及す影響なんかをつらつらと書いているところ。
いつも思い返すのだけれど、この方の感想が一番印象的だった。