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Mai 25, 2006

本当のつぶやき

本当にやりたいことなんてきっとない。

たとえば今は初期近代におけるギルドの勉強をしてるんだけど、
これも一生をかけて、どうしてもやりたいような勉強じゃない。
人の規範の移り変わりや、それを説明するマクロなファクターや、
それを実証するミクロな証拠の数々にはどきどきしちゃうけど、

それだけ。

こんなふうに「本当」という修飾語をつけると、
全てが胡散臭くなるから、よくやってみる。

「本当の自分」とか「本当の答え」とか「本当のラーメン職人」とか、
もう文字から途方もない紛い物らしさがぷんぷんでしょ。

別に、自分のための目標とか、人を説得するために
仮に「本当」を設定するのは、長い人生を生きていくために必要な知恵だとは思うけど、
それだけのために走り出してしまったら、
そんなものはすぐに崩れやすい紛い物だなって気付いてしまう気がする。

だから、別にやりたいことも欲しいものもたくさんあるけど、
どれもそれは本当に必要なものなんかじゃない。

まあ立場の違いで、自己を構築の対象じゃなくて、探索の対象とするならば、
本物はどこかに隠れているって最後まで信じることが出来るのかも知れないけどね。

天台宗の有名なコンセプトに「空・仮・中」っていうのがある。
そもそも仏教じゃ全てを「空」だって言ってたんだ。
つまり、この世界も神も自己も全て存在しないって。
じゃあこの世界は何だ?って言ったらそれは「仮」なわけ。
だけど、一切が誰にでも見えてるけど、どういうこと?
っていうわけで中庸としての「中」。

これって、少しだけ再帰的近代の考え方に似てなくもない気がするんだけど、
要するに「本当」が欲しいなら、「本当」ゲームをするのもいいのかも知れないってね。

それだけ。本当にそれだけ。

投稿者 POE : Mai 25, 2006 08:10 EM

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