taiyo: 2008年1月アーカイブ
ビザの面接に行ったのは1月16日(水)だった。一週間で到着するという話だった。
その二日後の朝、玄関のチャイムが鳴った。インターホン越しに「日本郵便です」という声が聞こえる。何だろうと思って出てみると、ビザが届いていた。早すぎ! 確かに以前ウェブで調べたときには二日で出るとなっていたが、まさかそんなに早く出るとは思っていなかった。
中身を確認すると、妻の分とともにパスポート、そして、MITから送られてきた書類、財政証明のために添付した書類が入っていた。パスポートのビザページを見ると、1月16日から発効となっており、有効期限は来年の2月28日までである。そして、二年間条項が適用されないと書いてある。政府のお金ではなく、純粋に民間のお金で行くのでこの条項が適用されないみたいだ。この条項が問題になることはほとんどないが、もし慶應に戻らないということがあれば、この条項は実に有効だ。
これでさらに一歩、帝国に近づいた。
問題は、ヨーロッパの帰りにアメリカに入国する際、そこでビザを使わなくてはいけないということだ。入国審査が面倒になる。
1月10日に本当はビザ面接に行く予定だった。この日は福澤先生の誕生日で慶應義塾は休みである。ところが前の日、書類に不備があることが分かった。どうやら7年前と違って、私が妻の分のビザを申請することはできず、ビザを申請する人全員が面接を受けなくてはならないことが分かったのだ。慌ててオンラインで面接の日時の再設定をするが、なんと16日になってしまった。
16日の前の夜、妻は早起きしなくてはいけないことにプレッシャーを感じて機嫌と具合の両方が良くなくなる。何とかなだめすかせて寝かせる。
当日の朝、6時半に起き、簡単に朝食を済ませ、電車で新橋へ。そこからバスに乗って霞が関三丁目で降りる。8時45分の予定だったが、8時15分に到着。大使館の外の列は短く、面接の時間には関係なく中に入れるようだった。セキュリティ・チェックを受けて、門内で再び並び直し、書類のチェックを受ける。
ところが、ここで不備が発覚する。私は面接の費用は夫婦の場合、一人分で良いと思っていたのだが、二人分必要だったのだ。面接が二人とも必要だと気づいた時点でここまで気がつけば良かったのだが後の祭り。11時半までに戻れば良いとのことだったので、いったん外に出る。
書類仕事の面倒くささに怒りが爆発しそうになるが、アメリカ生活にこういったことはつきものだ。ここで怒ってはいけないと気を取り直す。妻をカフェに残し、私はキンコーズへ。ここで妻のパスポート番号とバーコード番号を入れてペイ・イージー用の番号をとる。これを持って、虎ノ門のみずほ銀行のATMへ。お金を振り込んで、妻のところに戻り、大使館へ戻ったのが9時15分。一時間のロスだ。
今度は書類チェックをパスして待合室へ。椅子に座って待つものの、アナウンスの声が聞き取りにくい。英語なまりで名前を呼ぶ上に、マイクの声が小さい。本を読む気などせず、耳をそばだてて待つ。目の前の面接ブースでは何やら難しいやりとりが繰り返されている。10個あるブースの内、9番と10番はどうやら問題のある人の面接用だ。7番はずらずらと並んですぐに終わるので、問題がない人の列なのだろう。7番に呼ばれて欲しい。
この部屋にいるのは日本人ばかりではない。呼ばれる名前を聞いていると、外国の名前もかなり混ざっている。10番のブースで引っかかっていた男性は、パキスタンやマレーシアに行ったり、弟がサウジアラビアにいたりするようで、話が長引いている。いったい、東京でビザの申請をするこの人たちはどういう素性の人たちなのだろう。そして、この季節外れのビザ申請にこれだけたくさんの人がいるということは、ビザを持った人がわんさかとアメリカに押し寄せているということだ。帝国の磁力はまだまだ強い。
待合室でまず最初に名前が呼ばれると、指紋を採られる。最初に左手の4本、右手の4本、両方の親指。計10本の指紋が全部採られた。また席に座ってしばらく待つと、なんと7番で呼ばれた。9番と10番では日本語で面接を行っていたが、7番では英語だ。
面接官:You are a professor. So, what do you research?
私:Technology policy.
面接官:Ok, technology policy. And you are [his] wife?
妻:Yes.
面接官:Your visas are approved. Your passports will be mailed in about a week.
妻と私:Thank you.
これで終わり。実にあっけないものだ。大使館を出たのが11時。
相変わらず私は事務仕事に向いていない。しかし、今回は90分でリカバーできたから良かった。これでまた一歩、帝国に近づいた。
妻と新橋でうどんを食べる。香川と愛媛のアンテナショップの上にあるうどん屋だ。釜玉生醤油うどんは実にうまい。うどんの歯ごたえがしっかりしている。こんなシンプルなものなのに、アメリカでは食べられないのが残念だ。
妻と新橋で別れ、私は東海道線でSFCへ。車中、これからのよていをあれこれ考える。もしサントリー文化財団のシンポジウムで東京に帰らなくてはならないとしたら、妻と一緒に12月はじめに帰国し、妻は東京に残してしまっても良い。私はアメリカに帰るが、サンフランシスコに行き、そこから車を借りてボストンまで大陸横断の旅をする。そして、ボストンで荷物を整理し、再び車でサンフランシスコに戻ってくる。レンタカーの料金が気になるが、しかし、こんな旅がゆっくりできるのは最後のチャンスだろう。あるいはバスと電車を乗り継いでアメリカ一周というのも楽しそうだ。考えるに値する。
授業の後、國領先生とFさんと食事をする。一緒にやっているプロジェクトの打ち合わせを兼ねたものだが、そこで、「アメリカではインプットではなく、アウトプットをするべき。彼らが持ってないものを持っているはずだから、それを出した方が良い。インプットをしたいというのはダメだなあと思った」と言われる。確かにその通りだ。アメリカに行って何をやろうかと考えていたが、それはインプットをどうしようかということだ。そうではなく、これまでの研究人生でため込んできたものを思いっきりはき出す一年間にすべきなのだ。
マックのスティッキーズに残っているのはこんな項目。どれをやるべきだろう。全部やるべきだ。
■『情報通信政策のエミュレーション』
■『技術は世界を救えるか―グローバル・ガバナンスの視点―』
■『デモクラシーの同盟』
■『メカトロニクス・カントリー』
■『ネオ・フロンティア』革新する国 ギークたちをいかに活用するか
■『技術とアメリカ』
■『ジーン・ミックス』
■『国際政治理論』
■『国家安全保障補佐官とインテリジェンス』