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ソリブジン薬害における治験

1986年、フランス、ベルギーの研究者の動物実験でソリブジンに科学構 造の似た薬と、抗ガン剤との相互作用を指摘する論文が出されていた。日本商 事は1988年にこの論文の存在を知ったにもかかわらず動物実験の結果を治 験担当医に知らせていなかったという。
また、治験時の死亡例も「原因不明」扱いのままであった。臨床試験では、限 られた患者を対象にしているため、非常にまれではあるが、重大な副作用が市 販されて多数の患者に使われて、分かることがある。であるから、試験の段階 で「関連不明」として、副作用の例を除外するのは大きな問題である。「治験 の症例は、副作用が少しあっても、原因不明として処理するのが業界の常識」 「都合の悪いデータを除外基準に無理矢理あてはめ脱落例としたと、ある会社 の開発担当者が話していた」と、製薬会社開発担当幹部や、外資系製薬会社開 発担当者の話もある。欧米では、臨床試験開始後に起きた不都合な症状や検査 データをもれなく記載して比較することが原則とされているのである。日本に おいても、このことに倣うと同時に、副作用の疑いのあるデータは徹底的に調 べる、という科学者的姿勢が要求されるべきだと考える。
1990年3月発行の「臨床医薬」に、慈恵医大皮膚科の新村教授らの報告がある。 論文中では、死亡原因の一つに「抗ガン剤等の併用薬剤による影響」も挙げているが、 「剖検によっても直接の原因は不明であった」と結論づけている。
また、その論文の「安全性」の項で、「高い安全性が認められた」と先に結論づけ をし、その後「なお・・・一例の死亡者がいたが・・・死亡原因は不明であった」 旨を書いているのである。
治験報告は医学論文なので、科学的でなければならないが、「一例の死亡者」の 原因がわからないということは、まだ結論がだせないということなのに、どうして 「高い安全性が認められた」などと結論が出せるのであろうか。
更に、編集委員の中には当の新村教授らの名前があり、この専門誌というのは、 1985年付の毎日新聞が「『中央薬事審議会の審査を一度でパスする治験論文を 判定・掲載します』をキャッチフレーズにした医薬専門誌が創刊される」ことを 社会面のトップ記事にしたものでもあったのである。
臨床試験の対象となる患者の数は、ケースによって一人から数百人まで様々だ が、一件あたり10人としても、この12年でざっと60万人に研究開発の薬 が投与された計算になる。また、患者の同意がないまま薬を与える臨床試験が 横行してきたともいう。この事態に対し、厚生省は90年10月に「医薬品の 臨床試験の実施に関する基準」(GCP)を定め、患者の人権保護のため、原則 として文書による同意を求めるようになった。しかし、GCP施行後も100% 文書で同意をとる方針に転換した病院がある一方で、文書による同意は一切と らないと決めた医療機関もあり、未だ患者の人権が完全に護られている、とい う状況には至っていないのである。さらに、GCPという言葉を知らない医師も いるということなので、医学部の教育をもっと強化するべきではないだろうか。

また、GCPの中に次のような治験のデータに関する条文がある。

この条文から何が判断できるのか。

我々は、戦後(戦時中という説もある:代表的な例としては野口悠紀雄氏の 「1940年体制」)から続いている生産者重視の経済政策により、消費者の 立場が他の先進諸国に比べ低いということに、疑問の目を向けるべきではない かという考えに至った。
国民は憲法の規定により、皆平等に知る権利を持っている。特に、その情報が 国民の安全に関係のあるものであればなおさらのことであろう。また、国民に は紛争の解決手段として司法に訴えることが権利として認められているが、そ の判断材料となるデータが欠落しているとしたらどうであろうか。GCP条文第 11章24条には記録は製造(輸入)承認時まで保存すればよいことになって おり、また、その保存機関も製薬会社ということになっているが、このことは、 国民の基本的な権利である訴訟の権利を行使できなくするような環境をつくり 出していることにはならないだろうか。
また、最近話題の製造物責任法(PL法)の考え方からいえば、生産者は生産物 について、それを生産している限りにおいて、その生産物に対して責任がある のであり、その責任を持つだけのデータは用意していなければならないだろう。
医薬品である限り、薬に関して何らかの事故が起こる可能性をゼロにすること はできまい。しかしながら、そういう悲惨な出来事を起こさないような、また 万が一起きてしまった場合に十分な訴訟、補償ができるような環境を整備して おくことが必要なのではないか。



Atsushi Kusano
Thu May 8 15:35:48 JST 1997