さて、このようにして我々は独自の提言をするに至ったのだが、その道のりは、 当初予想していた通りの楽なものでは決してなかった。なぜなら、情報公開の 事例として取り上げたのが、原発という特殊なものであったからだ。
その頃、原発に関して、我々の持っていた知識は、無に等しかった。ゼロから のスタートだった。しかし、それでも原発という事例を我々が選んだのは、純 粋に原発に対する疑問に答を欲していたこともあるが、むしろゼロの知識から 出発し、一市民として情報公開を通し学んだ結果、原発というものをどれ程理 解できるかにかけてみたかったからなのかも知れない。 案の定、原発の内容 への理解は、「努力」という二文字では賄い切れるものではなかった。第一、 専門家でさえ、四苦八苦しているのだ。それに、我々には、「原発」ではなく、 「情報公開」という、忘れてはならない立ち返るべき原点があった。その上、 「時間」という制約もどんどんと重みを増してくる。
そこで、ずれ始め ていた路線をどう情報公開に持っていくかの議論になり、最終的に出てきたの が、第三者機関というものだった。
第三者機関については、これまで読み進めて来て下さった人にはご存知の通りのもの だ。よって、あえてここでは繰り返さないが、その曖昧なネーミング(?)の おかげか、個々のメンバーによって、考えている図式が全く違うという状況だった。 その混乱ぶりも、このレポートをお読みの方には、だいたい想像に難くないであろう。 とにかく、メンバー全員が何を考えているのか、互いに理解するだけで、一苦労だっ た。しかし、それも今になってみれば、スリリングな経験だ。グループワーク の楽しさというのは、互いの考えを分かり合う、そして意見の一致をみることに あるのかもしれない。
第三者機関を設定した段階で、次に考える事として、当然その中身、つまり、 構成員、情報のセキュリティ問題、活動範囲が出てくる。第三者機 関が情報を全て握ることの危うさ。果たして、全ての情報を一堂に会したとこ ろで、総合的、かつ的確な判断ができる人間がいるのか?常に第三者機関が独 立した中立の立場を守り、維持していくことが可能なのか?‥‥‥疑問は次々 と湧き上がってきた。正直言って、第三者機関は理想像だ。が、我々は、あえ て理想像を提言として掲げた。この提言は、今までの我々の成果の結晶であり、 こうだと思った一つの完全な形を公にすることそのものに意義を見い出せると 信じたからだ。果たして、皆さんはどう思われたであろうか。
プレゼンが終了してから、3カ月余りが、今過ぎようとしている。9月17日
付朝日新聞の一面には、大きく「原発の耐震性 総点検」という見出しの記事
が出ている。通産省資源エネルギー庁と科学技術庁が、全国の原発や、使用済
み核燃料の再処理工場などの耐震性が、国の指針を満たしているかどうか、総
チェックをかけるというのだ。今回は、国の指針が適用される以前にできた原
発や最処理工場、指針が適用されていなかった「ふげん」などを中心に、いわ
ば従来のチェックのカバーをするというものだが、一つ気になるのは、そのチェッ
クを政府がやり、詳細は国民側には分からないということだ。チェックをする
のは歓迎すべきことだが、「指針」や、「指針を改めねばならないようなデー
タ」と書かれても、それが何を指しているのか、新聞を読む我々国民には分か
らない。所詮、原発の記事は、細かいことを言い出したら、記事にならない程
の情報を伝えねばならなくなるのがおちなのだが、新聞を読む限り、プラスの
方向性を持った記事でも、不安は何かしら残ってしまう。原発の情報公開をやっ
た班としては、真に引っかかるところだが、これが今の実情だ。「原発」とい
う言葉が、「情報公開」とリンクして登場するのは、一体いつなのだろうか。
長時間の取材にも快く協力して下さった、原子力資料情報室の方々、そして突 然の訪問と無礼な申し出にも、親切に応対して下さった科学技術庁の方々に、 心から御礼申し上げます。そして、幾日にも及ぶ残留の中、我々の安全を気遣っ て頂いたセキュリティの人達、我々の中の湘南台住民を空腹と飢餓の危機から 救って頂いた豚菜の御夫婦、そしてサークルKの従業員の方々にも謝意を表す る。特に豚菜には店内の改装工事が叶うことを願ってやまない。豚菜のおばさ んのあの笑顔に励まされたことも付記しておきたい。また、われわれメンバー の交流を深める場所を提供して頂いたMONの御夫妻、従業員の方々にも感謝の 言葉を送りたい。最後に、その他、プレゼンテーション発表、レポート作成に おいて御助力頂いたすべての方々にお礼の意を表し、結びとする。