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3.携帯家族への共感
そして、いま、携帯家族の登場である。「ちゃぶ台(いろり)」から「ダイニングキッチン(DK)」そして「個室」を経て到達した新しい家族のメタファー、それが「携帯電話」である。前3つのメタファーと比べると、この新しいメタファーが移動性とネットワーク性を備えている、ということの意味が明確になるはずである。個室から飛び出し、もっと手軽な携帯電話に換えて自由になり、そしてネットワークを駆使してもっと広がりのある家族のあり方を求めよう、というのが携帯家族である。高度にネットワーク化された環境のもとで、いままでの家の空間的な拘束から自由になって、多様な家族のあり方が携帯家族のもとで模索されよう。豊かな情報社会にふさわしい家族がここで新たに期待され追及されるのである。
このような家族の変遷を単純化して関連づけると、つぎのようになる。4つの家族論は2つの軸によって分類され関係づけられる。それは、1つは家族のメディア関与度が高いか低いかで、もう1つは家族(1対の夫婦関係と親子関係)の境界が明確か曖昧かである。
大家族は、メディアが乏しく、だからこそ、イエの拡張である共同体的な世界にすべての生活を託すことができたのである。しかしメディアがマスメディアとして社会的な影響力をもち、都市化と産業化と平行して、家庭に侵入していったとき、核家族が登場した。マスメディアは、核家族という強固な家族の境界を社会全体につなぐ唯一のチャネルであった。ここでは、コミュニティは基本的には無用だった。弱者である子供のためのPTAと高齢者のための老人会を例外として、コミュニティは崩壊していった。
さらに、核家族が粒子家族へと変容するには、都市の消費化を背景にして、メディアが多様化しかつパーソナル化されることが求められた。個室に多様なメディアが入り、しかもそれらが個人の欲望を満たすパーソナルなメディアとなるとき、家族みんなはこの新しい自由の快感を喜んだものである。ファミコン・ウォークマン・パーソナルテレビ・電話(子機)は、メディアキッズの期待をみたす重要なメディアであった。しかしここでは、まだ家族の境界は明確であった。個室に籠って、そのかぎりではばらばらでも、家族の統合へのこだわりは強かった。マイホームで団らんの演技の必要性はみんな了解していた。消費する中での豊かさの表出には、素直な欲望の充足へのこだわりが必要で、そのためには個室が不可欠であった。
しかし豊かさは消費の世界にばかりあるのでない。個人の欲望の充足から、もっと開かれた社会的な期待に応えることに新しい意味を発見することが豊かさの表現である。そのために、ネットワーク環境があり、その社会的な潮流としてボランティアの精神がある。このような豊かな情報社会に支えられてはじめて、携帯家族は社会的に支持されるのである。今のところまだ、この携帯家族論はヴィジョンでしかない。しかしそれは、つぎの時代を担う家族ヴィジョンとして期待されるものである。
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