すべては95年からはじまった
 
序論
1. 2015年の解釈
2. 高齢化から成熟化へ
3. ネットワーク・コミュニティの生成
2.高齢化から成熟化へ

常識的には、2015年に高齢社会の到来は自明である。しかし期待される社会は常 識的な意味での高齢社会であってはならない。2015年の高齢社会は、既存の高齢者 を前提にした社会であってはならない。高齢者を、現状のように単に優しく保護する 福祉対象の社会的弱者として理解してはならない。高齢者をもっと経済的にも社会的 にも、そして文化的にも実質的なメンバーとして自立を促すような社会システムにし なければならない。つまり高齢者が十分に働き、高齢者が文化創造の担い手となるよ うな、成熟した社会システムを構築することが必要である。
それには、高齢化ではなく、成熟化が必要である。年齢としては、高齢化は確実に 進行するが、だからこそ、高齢者が社会の自立したメンバーとして生活できるシステ ム、若さだけが価値をもつ産業社会を超えた、新しい成熟した社会を構想しなければ ならない。
この場合、2015年の高齢者とは、今の団塊の世代である。とすると、現在ミドル のリストラの対象になって、ネットワークにのれないで、企業の邪魔者扱いされてい るミドルを、今の段階で、しっかりと再生させなければならない。かつての階層的な 組織での中間管理職ではなく、フラット化した組織で新しいメディアを駆使しながら 若手を引っ張っていく創造的なミドルへの変身が不可欠である。ミドルは、今がチャ ンスであり、同時にそれはラストチャンスだという自覚をもたなければならない。  組織は、ミドルを抜きにして動くはずはない。よく言われるように、トップと若手 が電子メールを交換すれば、組織は効率的になる、といった俗説が流布されるが、ど んなにメディアがよくなっても、仕事を熟知したミドルを抜きにして組織がうまく動 くはずはない。その意味では、ミドルは現状に安心していても、組織はミドルを捨て ることはできない。

しかし、では現状維持でいいのかというと、そうであってはならない、という認 識は共有されているはずである。その時、現状を打破できるのは、ミドルしかいな いし、ミドルがネットワークを駆使するようにならないかぎり、組織のリストラは ありえない。だから、今こそ変身する自覚をもたなければならないし、その自覚なしに、2015年を迎えて高齢者になったならば、悲劇的な老人になるだけである。もはや今のミ ドルは、福祉保護の対象者という、将来に約束?された役割に安住してはならない。 弱い老人は95年では許されても、2015年では許されない。とすれば、将来自宅を オフィスにしてネットワーク環境にのって働くことのできる、自立した高齢者の役割取得をいまから準備しなければならない。そのとき、成熟した社会は実現可能に なるはずである。95年のミドルの社会的使命は大きい。