デザインの組織プレー
先ほどのエントリー「アルゴリズミックデザインと設計支援」でも触れたような、
・異なる立場(設計者/施工者/利用者/投資家)
・異なる職種やさまざまな次元・スケールのデザイナー(1D:文章やソフトウェア、2D:グラフィックや布、3D:プロダクトや建築や都市、無形物:制度やスタイル)
がチームを組んで、何かをデザインするプロセスを考えること。
それは新しいスポーツや新しいプレースタイルを発明することに近いかも知れない。
かつてのエントリー「ワークショップと個と組織と」では、丹下先生をマンUのファーガソン監督に喩えた。
『アルゴリズミック・アーキテクチュア』出版記念トークで、藤村さんから丹下研や妹島事務所のようなデザインプロセスを考えたい、という発言があった。
藤村さんの超線形設計プロセスは、個人技としても使えるし、組織プレーとしても使えるのだが、個人技として使う場合の効用(初心者が迷走しなくて済む)と組織プレーとしての効用(模型がコミュニケーションを促し、パラメータのマトリクスでデザインの探索空間を明確に共有した上で最適化に進む)が、すこし異なっていて、多義的になっている。
組織プレーとしての超線形プロセスにおいては、模型が丹下研で描かれた地図に近しい役割を果たすことだろう。
アトリエか?設計事務所か?それ以外は無いのだろうか??という問題提起も、個人技に頼ったかつてのブラジルサッカーでもなくパワーに頼ったかつてのドイツサッカーでもないスタイルって何だろうか??という問いだと考えると、新しいポジション(投資家やユーザ?)を含めた新しいプレースタイルを色々と考えてみませんか??という話に喩えられる(?)だろうか。
これは、ソフトウェア開発における「アジャイル」や「スクラム」や「リーン開発」といったプロジェクトマネジメントのスタイルのデザインに近いだろうし、「ワールドカフェ」や「オープンスペーステクノロジー」や「アイデアキャンプ」といった新しいスタイルのワークショップをデザインすることにも近いだろう。
いま何人かの方々と一緒にオフィスデザインの本を作ろうとしているが、そこでは目標ツリーをレーダーチャート的に並べたようなフォーマットのダイアグラムを使って、オフィスを分析しようとしている。そのダイアグラムから、さまざまなオフィスで起るプレーとスタイルの類似点と相違点、そしてそれらとモノのデザインの関係が見えてくると良いな、と期待している。
加藤 浩, 有元 典文 認知的道具のデザイン (状況論的アプローチ) 金子書房 の
第7章 加藤 浩・鈴木栄幸 協同学習環境のための社会的デザイン 「アルゴアリーナ」の設計思想と評価
では、学習環境のデザインを三つのレベルに整理し、
・ヒト(組織)のデザイン:組織、制度、規則、行動規範、価値基準、人的関係
・コト(活動)のデザイン:活動内容、目的、動機づけ、達成目標、必然性、賞罰、
インセンティブ、行動のモデル、出来事(イベント)、
活動の(時間的)場
・モノ(道具)のデザイン:器具・道具、教育メディア、インフラ、機能、
ヒューマンインタフェース、意匠、
ドキュメント(コンテンツ)、活動の(空間的)場
として、
●
「実際のデザインはこれらのレベルを往復しながら進められる。しかし、原則的にヒト・コト・モノの順をとると設計上最も重要なコンセプトである「コミュニティがどうあるべきか」ということが明確になり、以降のデザイン具体化の指針となる。」(p.178)
●
と述べている。
ワントップかツートップか(ワンフロアでないといけないか、階や棟が分かれていても大丈夫か)。あの選手は左サイドかトップ下か(ビル、家具、ICT、どれがキングか)。得点できるのか、予選を突破できるのか(オフィスに投資をしてリターンは本当にあるのか)。そうした議論にとらわれずに「チームがどうあるべきか」を考えることは難しいことでもある。
ダイアグラムを通して
・似たようなモノのデザインがなされていても、ヒトやコトのデザインが違う
・似たようなヒトとコトのデザインがなされていても、モノのデザインが違う
というのが見えると良いのではないか。
ヒト・コト・モノの関係を分析して表現するダイアグラムを、(立場や職種の異なる)何人かのプレイヤーが共通して持っていることは、チームがどうあるべきか、新しいプレースタイルとそれを実現するには何をどう揃えれば良いか、を考えるひとつの道具になり得るのではないか、と考えている。