どんなエヴィデンスがベストであるか決めるのは、容易なことではない。エヴィデンスが求めているのは、聴衆やジャッジの同意を得ることにあるからだ。
これは、基本的な質問である。彼らが既に”真”だと感じていることを支持するエヴィデンスをわざわざ取り上げる必要はないが、最高のエヴィデンスでさえも、既に断固とした意見を持つ聴衆の心を変える原因とはならないのだ。中には健全なエヴィデンスを求めている聴衆もいるが、一方で、活字となって現れたことを全て信じてしまうような聴衆もいる。
ディベートで使うエヴィデンスの基準を検証するとき、まず一般的に標準とされるレベルで見てみるのがベストだ。ディベートを聞く評者やエヴィデンスを探すディベーターは、次の2つの質問に答えることから始める。:(1) エヴィデンスの
(external)な質についての評価-そのエヴィデンスの
-は信頼されているか? (2) エヴィデンスの
な質についての評価-エヴィデンスの
-はどうか?
-External Criticism-
対外的な批評(情報源の質)の質問は2つの領域に分けることが出来るだろう。:
この2つである。基準の幾つかは、出版者の質と著者の資格が使われるべきである。
出版社は、リサーチする分野において、尊敬され、偏見がなく、権威を持っているべきである。例えば、ある雑誌が最近起きた事件について報道し、意見を述べている場合、その事件を信頼されるような報告をしているか?、あるいは、一方的に編集してバイアス(偏見)のかかった解釈をしていないか?
この質問は、まったくもって複雑である。例えば、肯定側・否定側は双方とも大統領の演説で大統領が言ったか言わなかったかで、意見を異にする。その論争の結果わかるのは、一方は実際の演説の前に発表された原稿のコピーを利用してそれを情報源とし、他方は実際に行われた演説をそのまま使って情報源としている、その違いである。また別のチームは、学者が著した本と違った事を、ある権威者がテレビ・ディスカッションで言っているのを見つけてくるかもしれない。
というのが、情報源の種類に関する一般的なきまりである。権威者は、ほんの一時的なテレビでの発言よりも遥かに長い間利用される専門書に、より神経を使うものだ。大統領が予備原稿の一字一句に重点を置くのは、ただ単に、本番ではそれを注意深く読めばいいからだ。ぶっつけ本番の発言では、自由に誇張し、ドラマティックに発言すればよいと感じるだろう。それ故に、ディベーターは最も恒久的なエヴィデンスを探すものである。なぜなら、ディベーターが最高の資料を提示するは当然のことだからだ。
ここで問われるまず最初の質問は、
である。著者は、プロの資格を持ち、しかも事実や見解を述べるのに適任者であるべきである。また、その分野の他の権威者に尊敬され、発言に責任を持つ人だと評価された人であるべきだ。偏見を持った人、既得権益を持つ著者は避けられるべきである。例えば、原水爆実験に参与した物理学者が核実験は必要だと発言することは、ある程度予測できる。このように、既存の権威者をリサーチするときは、その権威者の見解以外にその意見を支持するエヴィデンスを探すのがよい。原水爆実験は行う必要がない、という物理学者によるエヴィデンスは、たいへん価値があるといえるだろう。
最も陥り易い”落とし穴”は、ある分野での権威者が専門ではない分野について述べた意見を、エヴィデンスとして採用してしまうことだ。例えば、軍事戦略の専門家が、外交政策について述べたり、物理学者がその友人に医療についてのアドバイスをしたりすることを採用してしまうことである。しかし、素人であるからといって、その意見が間違っているとは一概には言えないし、専門家だからといって、意見がすべて正しいとも必ずしも言えないわけだ。よいディベーターは、エヴィデンスの著者の資格を正確に評価するように、細心の注意を払う。
一般的に言って、著者がその出来事に近ければ近いほど、その情報は正しい。最近の(時事的な)出来事では、最も新しいエヴィデンスを用いるのがベストである。多くの議論や論点において、エヴィデンスの日付は勝敗を左右する。例えば、雑誌記事でなされた独自の国際的な提案は、翌日の新聞の見出しになってしまえばもう古くさくなってしまう。世論調査も、新しい世論調査が発表されたとたんに、古びたものとなる。逆に、歴史となってしまった出来事では、最古の情報源が最も正確とされるだろう。古代ギリシャの生活については、ギリシャ様式を理想化する現代ギリシャ人よりも古代ギリシャ人の言説の方が正確だろう。
書籍は、雑誌や新聞と同じ早さで出版されはしない。1986年の日付で著作権を得た書籍は、早くとも、1985年か86年に書かれたものである可能性が高い。書籍の適時性を判断するよい方法は、脚注を調べることだ。脚注や目録にある日付は、その本が実際にいつ書かれたのか教えてくれる。
-Internal Criticism-
対内的な批評とは、エヴィデンスの真偽に関係するものであって、しばしばリサーチに不慣れなディベーターに見逃されてしまう。情報源がしっかりとしていて、権威者が評判の高い人であれば、そのエヴィデンスは”真”であるに違いない、と感じてしまうのだ。「U2事件」は、実際に起こったよい反例である。ある人が、U2機はロシアで行方不明になった気象観測機であるというエヴィデンスを、大統領の発言や最も信頼できる情報源から容易に見つけることが出来た。しかし、後になって、その飛行機はスパイの任務を行うために、計画的にソビエト上空を飛行していたのだという事実を、大統領は渋々認めざるを得なくなった。この例でもわかるように、いつも、注意を怠ってはならない。
エヴィデンスの有効性を評価するとき、
という質問は、まず初めの、そして最も明白な質問である。何を報告しているのか、その報告は意味をなすものか?
そのエヴィデンスは実際に起こったこと-
-を報告しているのか、それとも、既知のことを基にした確からしいことについての
を報告しているのか。あるいは、もしかしたら、事実からの推測に基づく
の叙述かもしれない。最も論理的に物事を考える人は、その叙述が事実から離れれば離れるほど、誤りを含み易いと考えている。例えば:
(Fact level) : この古い短剣は不良品である。
(Inference level) : すべての古い短剣は不良品である。
(Value level) : 古い短剣は売ってはならない。
エヴィデンスの真偽はまた、
をチェックすることによって、判断される。エヴィデンスに矛盾が発見されるのは、決して珍しいことではない。それに、注意深いディベーターこそが、対戦相手が権威者の正しい見解を示すのに充分な引用を読み取っていないことを表すことによって、対戦相手の議論の誤りを立証することが出来る。あるいは、ある権威者と見られる人が、記事によって違った見解を述べていることを読み取ることによって、その権威者は確固とした見解を持っていないことを示すことが出来る。それ故、矛盾は一片の援用資料が無効であることを表すものの一つである。
最後に、エヴィデンスの有効性は、
を決定することによって、評価されることを挙げておこう。他の権威者や情報源と一致しているか?他の人々によって、同じ事実が矛盾なく述べられているか?ディベーターが注意すべきであるのは、自分達が見つけた自分達の議論を援用する情報源のみの議論である。他の大部分の情報に見向きもしない引用にも、注意を払わなければならない。
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