April 18, 2004
かる鬱
新学期らしさがやっとこみ上げてきた。
このやるせなさ、久しぶり。
去年は感じる余裕もなかったし、
おととしは受験の存在感が大きかったから、
実に3年ぶりかな。
まず特徴としては次の休みばかり気になる。
日曜日は憂鬱になる。
日曜日に考えることは、月曜日も火曜日のことでもなく、次の休みのこと。
そして、いつも聞かない音楽が聞きたくなる。
歌詞カードを見ながら聞きたくなる。
あと、ニュースがやけに見たくなる。
遠い世界の出来事の羅列に癒されるから。
この生ぬるい温度が余計、何年か前のあの頃を重なねてしまう。
温度、香り、外の景色がとても生ぬるくて、遅くて、ゆるやかで、散漫で緩慢に悲しくなっていく。
なんて。
終わらせたい願い
携えて背中が重い
画像の操作が途中で
倒れそうな銅像
そんな微笑みで
事件を終わらせないで
傷付くなんて
簡単だから
闘うなんて
簡単だから
戦争なんて
簡単だから
だって君は何度も
センソウしてきた
横顔を眺めて
明日の終結はあきらめて
明後日の笑顔も
とりあえずあきらめて
涙を忘れないで
せめて歩き出して
かさばる願い
それでも携えて
投稿者 POE : April 18, 2004 08:58 EM
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コメント
最近ぽえまーが日記に書く詩がぽえまー
「らしくない」気がする。
けど
・「らしい」「らしくない」って議論がそもそも嫌い
・どこが「らしくない」のかわからない
のでこれ以上突っ込まない。
あーあ。俺もセンスある人間になりたいよ。
別に報われなくていいからさ。
投稿者 笠井 : April 20, 2004 06:17 FM
あ、今なぜか「癒し」を求めてぽえまーの
詩のコーナーに足を踏み入れてみた。
「人」ってのを読んでみた。好きかも。
あぁいう、説明的な詩は好き。
抽象的過ぎる詩は俺の貧相な想像力じゃ
追いつけないから。
って、なんでこんなに痛んでるんだ
今日の俺。
投稿者 笠井 : April 20, 2004 06:32 FM
病んでるね。06:32 AM っていう時間もふくめて。そんなに昨日の飲み会や、その後の自転車事件が、深い影を落としましたか。
確かに社会構築主義やらその辺りの流れの学問をやってる人(あれ、違ったっけ)には、「自分らしい」っていう言葉はあまりよいものじゃないよね。
うちも「らしい」って嫌だなあ。でも全てが要素の集まりでも、うちは総体で「らしさ」ってものを見出しちゃうけどね。
って、突っ込まないっていってるのに、何を返してるんだか。
詩でも何でも客観性は大事だよね。特に作品それ自体のコンテクストじゃなくて、読者の「場」に依存しがちな詩の世界じゃ。だから、説明調の詩は、説明するってことで、読者と世界をわかりやすく共有できて、客観性を確保できて、受け入れやすいんだと思う。
って、そんなことは自明だよね。何、うちは121字も使って応えているんだろう。
抽象的な詩や詞は、本当に自己満足だからなあ。そうならないように、頑張るときもあるんだけどさ。
投稿者 POE : April 20, 2004 08:54 EM