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Juli 02, 2005

SNS、濃度薄まってる

[情報通信文化論]

そもそもSNSは大学の同窓生名簿のようなものが源流と言われている。極めてCLOSEDなCOMMUNITY。それが今はどうだろう。一応、メールでの紹介というような形をとるものが多いけれど、結局は誰でも入る気になれば入れて、中で起こっていることと言えば友達作りとか同じ趣味の仲間を見つけたりとか、SNSじゃなくても起こっていることばかり。

でも、確かに(日本の一般的な)ウェブサイトとの相違点もある。特に初期、みんながばんばん実名と写真をだしていた。CLOSEDという安心感からか、もしくは現実の社会の縮図のような光景に(現実社会でウェブのようなOPENっていう空間は逆に特異)順応してか。

それってWEBで実現できなかったことを、もう一度取り戻そうとするあがきにも見える。実質、匿名ではない韓国のWEBのように、生産性があったり意義があったり、みんながリテラシーのレベルが高かったり、そんな現実のルールを持ち込んだ折衷としての空間の創造。

でもきっと二極化して終わりじゃないかなあ。一つは、とことんCLOSEDを志向する秘密結社型。参入条件もすっごく厳しくて。もう一つは、今以上にさらに濃度がうすまって普通のWEB化。だんだんみんな匿名になっていって写真も出さなくなって。

だって、大衆化ってそういうことだよね。SNSの特徴にまず、自分用のページを作るのが簡単っていうのがある。プロフィールをちょこちょこ入力して、趣味や経歴、所属のコミュニティーを選んでゆけば誰でも10分ちょっとで自分専用のページ(字義通り言うならまさに「ホームページ」)を作ることができる。

だから(ぼくのような)ふつーの人からしてみたら、SNSなんて「ちょっと便利」くらいの意味しか感じられない。

投稿者 POE : Juli 2, 2005 10:10 FM

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