合同運営委員会の仕事

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合同運営委員会の仕事は、それほど大変ではないということがほどなくして分かった。たいていの案件は、合同運営委員会に上がってくるまでに各種委員会で案が作られている。それらを承認するだけで話が済んだ。

私の担当は広報ということになっていた。運営委員ひとりひとりは政府の内閣の閣僚のように担当する仕事を持っており、通常は各種委員会の委員長を兼ねている。私は広報担当ということになり、広報委員会にも所属していた。ところが、広報委員会の委員長は、環境情報学部の冨田勝学部長が最も力を入れたい分野の一つだったこともあり、三役(二学部長と委員長)が兼務することになっていた。つまり、私は広報担当でありながら、実質的にはほとんど仕事がないという状態だった。

無論、広報の仕事がまったく無かったわけではない。事務方でいちいち三役に上げていられない案件については私に相談があり、小さな案件については私が判断したこともある。しかし、基本的には冨田学部長が積極的な広報を展開しており、広報委員会自体もほとんど開かれなかった。結局、合同運営委員としての私の役割は、目の前を通り過ぎる書類の束を眺めながら、大学運営がどうなっているのかをおぼろげながら理解することであった。学生が不祥事を起こしたり、教員が突然選挙に出たりといったことがあると、それなりの審議が合同運営委員会で行われたが、それまでイメージしていた教授会の議論とは異なるものであった。

小島学部長が私を合同運営委員にしたのは私の行政手腕を買ったわけではもちろんない。着任して日の浅い私を留学に行かせるためには、大変な学事に汗を流したという言い訳が必要になるだろうという配慮だ。実際、カリキュラム委員会でカリキュラムの全面改訂という大変な学事に関わっていたので、私としてはそれだけでも大変という思いだったが、人事委員会では、さらに合同運営委員もやったといえば文句が付けにくいだろうという配慮があったに違いない。

年が明けて2006年の春休み、かねてから頼まれていたパネル・ディスカッションに参加するため、3月1日にニューヨークに行く。ジャパン・ソサイエティーでクリエイティビティについてパネル・ディスカッション。割と受けたので気をよくした。ここで「グロス・ナショナル・クール」のダグラス・マグレイやハーバードのコスタス・テルジディス、そしてMITのイアン・コンドリーに出会う。このイアンとの出会いが後々、重要になる。

ジャパン・ソサイエティーでの仕事が終わった後、合流してきた妻と一緒に、留学候補先としてイェール大学とプリンストン大学を見学に行った。ニューヨークを出たときはすでに大雪で、イェールのキャンパスに着いたときは一面銀世界である。良いところのように思えたが、少し治安が悪そうなのが気になった。ブックストアが充実していたのは気に入った。ポール・ケネディの本を買う。

翌日、車で移動してプリンストン大学へ。ここにはウィルソン・スクールがあり、G・ジョン・アイケンベリーがいる。しかし、問題はロー・スクールもコンピュータ・サイエンス学部もないところだ。国際政治だけをやるなら良いところだが、IT関連の話はまったくできなくなる。ここは昔、江藤淳もいたところで興味深いが、どうやら縁はなさそうだ。

留学について、折に触れて簡単な相談を小島学部長としながら、2006年春になって仮の応募書類をSFCの執行部に提出した。最終的な決定が行われるのはこの年の秋だったが、事前に応募状況をSFCの執行部が把握し、内部調整を行う慣例になっていた。つまり、キャンパス内で候補者を絞り、塾に提案する際には問題なく決まるようにするわけだ。

この時点で、ある程度、どこに行って何を研究するかを決めなくてはならない。この書類提出の前の春休みの段階から、三田の国際センターとやりとりをしながら、留学先を絞った。

私の第一希望はヨーロッパだった。小島学部長にもこの点は伝えた。「まあ、いいか」という返事であり、どうやら小島学部長の希望はアメリカだったようだが、私はヨーロッパにしようと思っていた。慶應義塾はケンブリッジ大学と提携していたので、ケンブリッジは理想的な行き先だと思った。ところが、ケンブリッジにはすでに別の候補者が手を挙げており、私が応募しても見込みは少ないだろうというのが国際センターの見解だった。そこで、ひとまず希望留学先はハーバード大学のエンチン研究所にして出した。ここは塾との間で寛大な協定を結んでいて、実に待遇が良さそうに見えたからだ。

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このページは、taiyoが2007年12月 7日 08:49に書いたブログ記事です。

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