行き先に迷う
エンチンとは燕京のことで、北京の別名である。ハーバード大学に設置されているエンチン研究所は、正式にはハーバード大学の一部ではない独立の研究所だそうだが、東アジア関連の地域研究をするところとして知られている。ここに所属すると研究費まで毎月くれるというから良い話だ。しかし、ここも諦めざるを得なかった。ここにも先客がいて、争わざるを得ず、私には分が悪そうだったからだ。
そうこうしているうちに、SFC内では福澤基金(若手向け)の枠での留学を認めてもらうことができた。そして、9月に慶應義塾に正式な申請書を提出し、11月に認められた。
前年から続いていたサントリー文化財団の研究会「文明論としてのアメリカ研究会」が10月に横須賀で開かれた。このとき、オプショナル・ツアーとして海上自衛隊の観艦式の予行に参加することになった。観艦式は横須賀沖に海上自衛隊の護衛艦などが勢揃いし、総理大臣が観閲するものだ。サントリー文化財団の一行はメンバーである八木浩二さんの好意で、護衛艦「いかづち」に乗せてもらうことができた。
この観閲式は、行き帰りの時間がけっこう長い。港から現場まで片道2時間以上かかる。その間、船の中をブラブラ歩いたり、海を眺めて過ごすことになる。観艦式が無事終わり、船室で雑談をしているとき、阿川先生の奥様が、学部長には絶対に反対だという話をなさった。無理もない。しかし、ゆっくり二人で話そうということで、阿川先生と艦橋まで登る。そこで、「どうしてもということなら考えてみないことはない。しかし、一期だけやって私はやめるよ」と阿川先生はおっしゃった。私は、小島先生がどうしてもとおっしゃるなら一期だけやられるのが良いのではと思っていたので、そうなるかもしれませんねと答えた。しかし、阿川先生の本音は、やらなくて良いならやりたくない、まだまだ書きたい本があるというところは変わりがなかった。
留学については、待遇の良さにひかれてエンチン研究所にしていたが、その道も断たれたとなると、もう一度ヨーロッパにチャレンジしようと気を取り直した。知り合いのイギリス人研究者を頼ってLSE(ロンドン政治経済学院)の先生を紹介してもらった。12月はじめにインターネットとテロに関する興味深いセミナーがオックスフォード大学で開かれるので、それに乗じてロンドンに行き、このLSEの先生に会うことができた。
しかし、このLSEの先生はどうも面倒くさがっている雰囲気がありありだった。客員研究員決定のための会議はまだ先だから他を探したらどうか、あまり期待しないで欲しいというような返事だった。一通りの説明を行い、資料を渡して辞する。返事だけは待とうと決めたが、どうもダメだろうなと感じた。
いろいろ経験者に話を聞いてみると、イギリスに限らずヨーロッパの場合は、いったん内輪に入ってしまえばとても親切にしてもらえるが、そこに入るまでが難しいとのことだった。私の友人の若い研究者たちはまだテニュアではなく、私を引っ張り込めるだけの力がない。そうした力を持っている先生たちとの強い繋がりがない私はなかなか入り込めない。
ハーバード大学のエンチン研究所はダメだったが、数年前に会ったことがあるハーバード大学のインテリジェンスの研究者のことを思い出したので電子メールを出した。費用は自分で負担するので籍だけ置かせてもらえないかという内容である。数日で返事が来たが、「事務的な問題があるのでしばらく返事を待って欲しい」とのことだった。これもどうやらうまくはいかないなという感じがした。
この頃になると、ヨーロッパは諦めて、アメリカにしようかというようにも気持ちが変わってきた。アメリカは、ハーバードはともかく、比較的オープンなので、それなりにツテを頼っていけば門は開かれる。6年前に滞在したジョージ・ワシントン大学でも受け入れてくれるかもしれない。しかし、もう一度ワシントンDCにも戻るのは疲れるという気もした。ワシントンは興味深いところだが、その分、忙しくなる。いろいろなことが毎日起きるので、それを追いかけているだけで時間が過ぎ、じっくりと本を読んだり、書いたりすることができない。
もう一つの可能性はUCバークレーであった。サンフランシスコは好きな街だし、砂漠の中にあるスタンフォードよりも、街中にあるバークレーのほうが良い印象がある。政治学が強いというのも魅力だ。とびきりリベラルな教員と学生が集まっているのがバークレーである。研究プロジェクトで一緒だったバークレーの大学院生Kさんとは時々連絡を取り合っていた。Kさんにバークレーに滞在することができるかを問い合わせてみた。Kさんからは可能だと思うという返事が来た。バークレーのBRIE(Berkeley Roundtable on Information Economy)は、オープンな運営をしており、問題ないだろうとのこと。特に共同ディレクターをしているジョン・ザイスマン教授は、私の師匠の一人である薬師寺泰蔵教授の親しい友人である。
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