小島学部長倒れる

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年が明けて2007年。バークレーに行くことにほぼ腹を決めた。春休み中にバークレーに行くことができないか考えるが、暇がない。1月にNTT出版から『ネットワーク・パワー』を出すことができた。その書評が読売や日経に出て気をよくする。

2月、思いがけないことが起きる。18日に総合政策学部の入試が行われたが、朝の学部長挨拶を小島学部長ではなく、学部長補佐の阿川尚之教授がしたのだ。小島学部長は風邪でも引かれたのかと思ったが、ある先生が「深刻らしいよ」と耳打ちしてくれた。心配だ。

その後、入試の採点や春休み期間中の合同運営委員会にも小島学部長は出てこない。どうやら脳の深刻な病気とのことで、手術が必要になるとのこと。学部長に少し近いところにいるようになって分かったことだが、さまざまな問題が学部長のところには押し寄せており、小島学部長はそれを超人的にさばいていた。しかし、3期目の無理がたたって倒れてしまったのだろう。

学部長補佐の阿川先生が学部長代理を務めることになり、さまざまな活動の前面に立たれることになった。次の学部長にという声は以前からあったが、ご本人は断固辞退の姿勢でおられた。しかし、この不測の事態に直面して逃げ出すわけにもいかず、ブツブツ言いながら学部長職をこなしておられた。

この事態は私にとっても黄色信号だった。小島先生から、もし2007年の学部長選挙で阿川先生が当選した場合、しっかりサポートするようにと仰せつかっていたからである。しかし、私の留学期間はどうやっても新学部長の任期に重なる。一番良いのは阿川先生が辛くも小差で学部長選挙に負けることである。小島先生には「頑張ったのですが、及びませんでした」と申し上げ、阿川先生は希望通り学部長にはならず、私は何の障害もなく留学に出かけられるからである。

このシナリオは小島先生が倒れたことによって狂ってきた。阿川先生が学部長代行を続け、そのまま学部長になってしまえば、私の留学はどうなるのだろう。塾がすでに決定していることとはいえ、ひっくり返されることになりはしないだろうかと不安になった。

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このページは、taiyoが2007年12月 7日 16:59に書いたブログ記事です。

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