学部長選挙

| | コメント(0) | トラックバック(0)

バークレーにいったんは決めたのだが、その後、GLOCOMのアダム・ピークさんと話していたら、オックスフォードに紹介してあげるよという話になった。オックスフォードにはインターネット研究所(OII)があり、悪くない話だ。しかし、この話も結局はうまくいかなかった。だいぶ時間があってから返事があり、決定は10月まで待たないと決まらないこと、そして毎月500ポンド(12万円)のオーバーヘッドが必要だということが分かったからだ。仮にお金が問題ではないとしても、10月になってダメといわれてからアメリカの大学に切り替えてもビザが間に合わない。オックスフォードは諦めることにした。

他にもベルギーのブルージュというところにあるヨーロッパ大学はどうかと同僚の渡邊頼純教授が誘ってくれた。渡邊教授はこの大学院の出身である。しかし、私がやりたい研究テーマとはあまり重なるところがない。結局、ここでヨーロッパに行くことは最終的に断念する。

年末年始、行き先もさることながら、いつ行くかも真剣に考えるようになった。というのは、9月から留学ということになると、今まで面倒を見てきた3年生が4年生になり、卒論を書くのを待たずに行ってしまうことになる。また、面倒を見なくてはならない大学院生も数人いる。さらに、同じ時期に留学・サバティカルに行く教員がGR(グローバル・ガバナンスとリージョナル・ストラテジー)プログラムに3人いることになった。

大学院のプログラムは緩やかな教員と学生のグループであり、実質的にプログラムごとにカリキュラムの運営や入試が行われている。GRプログラムからは、私と同時期に田島英一教授が留学に行き、2007年度秋学期(9月から翌年3月まで)に草野厚教授がサバティカルをとることになった。私が9月からいなくなると、同時期に3人がいなくなることになる。特に草野先生がいない間は、普通に考えれば草野研の学生の面倒を私がある程度見なくてはならないだろう。

他にもいくつかの理由が重なり、留学は2008年の3月から行くことにした。つまり、2007年度はまるまる授業をして、実質的に2008年度の一年間、国外に出ることになる。学生には2007年2月の研究会(ゼミ)合宿で告げた。

2007年度の新学期が始まると、学部長選挙が行われた。通常は5月に行われるが、小島学部長の件があるので4月に前倒しし、総合政策学部については、9月から任期の新学部長が8月までの学部長代行も兼ねるということになった。私にとっては一大事だ。実は小島先生は手術を受けられた後、奇跡的な回復を見せられ、学部長選挙の直前にはSFCにも数回顔を出された。お見舞いの電子メールを出したところ、学部長選挙についての問い合わせもあった。私としては小島先生の意向に従いたい気持ちがある一方で、阿川先生の気持ちも大事にしたかった。

結局、選挙の結果、一回では決まらなかったが、二回目の投票で阿川先生に決まった。私としては複雑な思いだった。阿川先生からは留学に行くまでは手伝うようにという話が当然のことながら来た。留学時期を遅らせておいたので、2007年度の間、約一年間はお手伝いができる見込みだ。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 学部長選挙

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/mt4/mt-tb.cgi/478

コメントする

このブログ記事について

このページは、taiyoが2007年12月 7日 18:28に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「小島学部長倒れる」です。

次のブログ記事は「イアンとの再会」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01