イアンとの再会
阿川先生からは、留学に行くまでは学部長補佐をやりなさいとのお達しがあった。学部長補佐というのは文字通り学部長を補佐する役目で、小島学部長時代には阿川先生一人だったが、複数にしても良いのではないかという話を護衛艦「いかづち」の上でしていた。ところが、この学部長補佐およびそれに伴う合同運営委員は塾の正式な役職でもあるので、途中でやめることが分かっている人を任命するのはどうかという話に三役の中でなったそうだ。そのため、私は正式には任命されないながらもお手伝いする役割となり、正式な学部長補佐には、榊原清則先生と古谷知之先生が着任することになった。榊原先生は経営学で知られた重鎮であり、古谷先生は私と同年代でGIS(地理情報システム)の専門家である。
ある日、阿川先生が私と古谷さんを誘い、イトーヨーカドーにあるスターバックスに出かけた。そこでアイスクリームを食べながら、今後の構想について話し合った。そこからこの会は「アイスクリームの会」と名付けられることになった。まず取り組むべきは合同運営委員会のメンバー選びだが、阿川先生の頭の中にはおもしろい人事構想があるようだった。
私はヨーロッパを諦め、アメリカに行くことにしていた。バークレーは気候も良いし、どんな研究にしようかと思いを巡らせていた。2007年の初夏の頃、ニューヨークのフォーラムで一緒になったMITのイアン・コンドリーが日本にやって来た。その前年も彼は日本に来ていて、SFCでの授業で話をしてもらい、学生に絶大な支持を受けていた。また、彼の著書『Hip Hop Japan』の翻訳出版についても少し手伝った。今回の来日では授業に来てもらう時間はないが、一緒に昼飯を食べようということになり、汗の出るような日の昼、三田の中華料理屋で昼ご飯を食べた。
いろいろ雑談をしながら、来年、アメリカでサバティカル(研究休暇)を過ごすんだよねという話をした。するとイアンは、バークレーもいいけど、興味があるならMIT(マサチューセッツ工科大学)も紹介するよと言ってくれた。MITはハーバードと同じくボストンにあり、ハーバードを諦めた時点で少し可能性を考えたこともあったが、それよりもヨーロッパを優先しようと思っていたので、真剣に考えたことはなかった。
考えてみればMITは薬師寺先生の母校でもあるし、技術と国際政治を研究するにはベストなところである。ITについてはその名をとどろかせるメディアラボもあるし、工科大学という割には経済学や政治学でも突出しており、ノーベル経済学賞も多く受賞している。これはなかなか良いオファーかもしれないと直感的に思った。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: イアンとの再会
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://web.sfc.keio.ac.jp/~taiyo/mt4/mt-tb.cgi/479
コメントする