巨星墜つ
3月4日、小島先生が亡くなった。このニュースは総務からの電子メールで昼に知った。総務省関連の会議に行く前で、大声を出して妻に知らせ、メールを読みながらしばし言葉を失った。先日、ある先生から耳打ちをされていたので、ひょっとしたらとは思っていたが、これほど早いとは驚きだった。
総務省の会議も欠席しようと思い直したがひとまず出席し、会議の冒頭ではそのことに触れながら挨拶した。テーマがASP・SaaSに関するアジアを中心とした国際連携だったからだ。この会議が終わった後、16時に総務省に行き、櫛田さんと西潟さんを引き合わせ、総務省の政策について議論する。政治が大きく変わったというのが印象的であった。17時半に総務省を出て、新橋まで櫛田さんと歩く。本当は櫛田さんの夕食につきあうべきだったが、小島先生のことで頭がいっぱいで辞去する。
問題は、トルコ行きである。実に困った。最初の考えは、葬儀を優先し、トルコでのシンポジウムをキャンセルしようというものだった。そのため、小島先生の一番弟子の加茂さんに電話をし、葬儀の前にご挨拶に行く時間はないかと確認してみる。幸い、明日(5日)の昼に小島先生の自宅に伺うことができるとのことだったので、12時45分に新百合ヶ丘駅で待ち合わせることにした。
翌5日、電車を乗り継いで新百合ヶ丘へ。加茂さんの他に、総務の大古殿さんが来ている。タクシーの中で話を聞くと、問い合わせがあった場合、出張は断るように頼んでいるという。ううむとうなってしまう。村井先生は出張を早めに切り上げ、帰国し、阿川先生は出発を延期したという。
小島先生の自宅に着くと、小島先生がスーツに着替えている最中で、しばらく時間がとれないということだった。ここで、方針を転換し、ここでご挨拶することをやめ、シンポジウムをキャンセルして葬儀に出席することにする。最寄りの駅までの道を聞き、大井町に帰る。大井町駅のコインロッカーに入れておいたケーブルテレビのチューナーを戸越銀座まで返しに行く。
夕方帰宅してから、元トルコ大使の藤原さんに電話をするがつかまらない。電子メールを出す。村井先生と阿川先生にもメールを出す。
夜になって阿川先生からキャンセルしても良いとの返事がある。しかし、村井先生からは返事がない。村井先生の秘書にもメールを出して聞いてみる。本当はトルコのムスタファさんにメールをすぐだそうと思ったが、もう少し検討した方がよいかと思い、下書きだけしておく。
実に悩む。つらい選択だ。小島先生の葬儀には出たい。大変お世話になったし、同僚たちと共に小島先生を見送りたい。しかし、トルコの主催者たちには大変な迷惑をかけてしまう。迷惑をかけるが、しかし、基本的には私の知らない人たちであり、私のシンポジウムでの役どころは実に端役でしかない。私が出席しなくてもシンポジウムはたいした影響もなく進むだろう。もしシンポジウム自体が退屈であったとしたら、私はたった20分話すためだけに小島先生の葬儀に出席しなかったという負い目を一生持ち続けることになるだろう。
翌朝、6日の朝、藤原大使から電話が入る。理解できないわけではないが、できればシンポジウムに参加して欲しい、他に方法はないのかという話である。藤原大使から口添えすることはできないので、自分で決めて伝えて欲しいとのこと。実に困る。
悩みを抱えたまま、家を出て三田へ向かう。12時にSFCに小島先生の棺は行き、その後14時に三田に来る予定だ。談話室でしばし待つ。その後、清水さんがやってきた。
14時20分頃、小島先生の棺を乗せた車がやってきた。外からはそれらしい車には見えない。奥様とご長男、そして加茂さんが同乗されている。奥様の言葉を聞いているうちにほろほろと涙が出てくる。正門まで行って見送る。
清水さんと生協食堂でお茶をする。トルコについてアドバイスをもらい、欠席を決断してその場でムスタファさんにメールを送った。決断した後でもまだ罪の意識が強く残っている。つらい。申し訳ない。
16時に図書館に移り、仕事をしようとするが、なかなか手につかない。ムスタファさんからは返事が来ない。ゲラのチェックにも集中できない。仕方がないので思考を整理するためにこのエントリーを書き始める。書くことでだんだん気分が落ち着いてくるが、これで良かったのかどうか不安が残る。『成長の法則』によれば、何事もポジティブに考え、行動しなければ始まらないという。その通りなのだが、今の私はネガティブ思考のループにはまってしまっている。小島先生がくれたこの時間を上手に使わなくてはならない。
もしトルコのシンポジウムがなければ、今頃私はアメリカにいて、小島先生の葬儀に出席することはできなかっただろう。トルコの方々には申し訳ないが、私がやらなければならいのは、葬儀に出席し、小島先生との約束を肝に銘じることではないだろうか。KKKトリオ(草野、小島、熊坂)の三人がいなければ、私の今のポジションは無かった。その恩の大きさを考えれば、トルコのシンポジウムへの不義理は比較にならない。私は葬儀に出なくてはいけないのだ。そう考えることにしよう。
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