トルコへ
小島先生の逝去を受けて私は決断を迫られることになった。トルコのシンポジウムに予定通り行くのか、小島先生の葬儀に出るのか。この二つはまったく同じ日に行われる。上海経由の飛行機に変更したとしても通夜が終わるのは午後7時で、アンカラに行く飛行機は成田を午後7時半に出る。仮にその飛行機に乗れたとしても、到着は翌日の午後3時となり、私のパネル・ディスカッションの開始時間は午後3時40分である。どう考えても難しい。
私しては、たった20分のスピーチのためにアンカラまで行くよりも、小島先生をみんなと一緒に見送りたい。4日の午後は総務省関連の会合に出てから、総務省で櫛田さんと西潟さんを引き合わせた。その晩、迷ったあげく、加茂さんに電話をした。すると、明日の午後一番で、小島先生のお宅におじゃまできそうだということが分かった。12時45分に新百合ヶ丘の改札で待ち合わせることにした。
翌日、待ち合わせ場所には加茂さん、そして大古殿さんが来た。しかし、タクシーで小島先生のご自宅に着くと、小島先生がスーツに着替え中で、ご挨拶できないことが分かった。大古殿さんによれば、できるだけ出張はキャンセルしてもらっているとのこと。阿川先生はアメリカ行きを延期し、村井先生は途中で切り上げて帰ってくるという。そこで、私も出張をキャンセルすることにして、この日は帰宅した。
帰宅してから日本国際問題研究所の藤原事務局長(元トルコ大使)に電話するがつかまらない。電子メールで連絡する。もともとトルコの話を持ってきてくれた村井先生と阿川先生にも電子メールを書き、シンポジウムをキャンセルしたい旨伝える。阿川先生からは、村井先生がOKなら異存ないとの返事がすぐに来た。村井先生は出張中とのことなので、秘書にもメールを送る。
翌朝、村井先生からもOKのメールが来る。この日、昼に小島先生の棺はSFCに行き、その後で三田に来ることになっていた。昼過ぎに三田に出かけ、棺が研究棟の前を通り、キャンパスを徐行するのを見送る。涙が溢れてくる。その後、清水さんにお茶につきあってもらい、その間に、トルコへの断りのメールを送った。
その日の夜は小川町で経団連プロジェクトの打ち上げがあった。経団連の二人に相談すると、行ったほうが良いとのことだったが、すでに断りのメールを出した後だった。店を出て神田まで歩こうと思い、携帯の電源を入れると、何やら意味不明の留守電が二件入っている。
神田の駅に着くとまた電話がかかってきた。何かと思ってとると、在アンカラ日本大使館の瀬戸さんという人だという。どうやら、断りのメールを受けて、主催者がトルコ軍参謀本部に連絡し、そこから大使館の駐在武官に参加の要請があったらしい。家に帰ってみると、電子メールにはムスタファさんからどうしても来いというメールが入っている。おまけに駐在武官からもメールがあり、ファックスまで送ってきた。
再び加茂さんに電話して、もう一度会えるチャンスをもらえないか電話し、明日、時間をとってもらうようにお願いする。
ひどい国だというのが感想だ。『トルコのもう一つの顔』を読んでいたせいもあるが、トルコ政府の横暴さを感じる。家族や友人よりも大切なものがあるというのか聞いてみたい。会議にどんなお偉いさんが来るのかは私には何の関係もない。メールに返事をする気がしない。
しかし、一度約束したことでもあるし、主催者に損害がかかることは間違いないから、瀬戸さんを通じて参加する旨を伝える。それにしても腹立たしい。
村井先生と阿川先生にもキャンセルできなかった旨、伝える。ここで思い直し、加茂さんにメールをして、明日の面会をキャンセルする。その代わり、清水さんに代わりにお香典を持っていってもらうことにする。会ってご挨拶したいというのは私の自己満足に過ぎず、大変なご遺族の時間をいただくわけにはいかない。
土曜日の夕方、清水さんと大井町駅で待ち合わせ、お香典を託す。まったく申し訳ない。
日曜日の朝、トルコへ旅立つ。
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