「死刑制度に広く関心を持ってもらう」。それがそばの会の一番重要な目的であった。しかし例えば、世論調査こそ行われるものの、死刑制度に関心を持ちもしくはある程度の知識を有している人はどれくらいいるだろうか。7年間配り続けて、17万枚というビラを配りながら、それにどれほどの効果はあったのだろう。

死刑制度の是非はここでは問わないが、現実問題として「気付かれていないこと」はこの複雑化した社会の中でとても多い。さらに、「気付いた」としてもそれが万人にとって価値があるものではない場合、もしくは意見がわかれてしまうものの場合、それをどう扱っていけばいいのだろうか。

そばの会のようなイデオロギーが関わってくる団体とどのようにネットワークコミュニティという概念を結びつけることが出来るだろうかという問題にもなる。単純に電子会議室のようなものを設置してすむ話ではない。今のままの状況だと「荒らされて」終わりか、もしくは誰も使わなくて終わりか、という結果になってしまうだろう。それがそばの会がBBSを設置しない理由でもあるし、ネットワークに積極的に関わろとしない点でもある。

あることに広く関心を持ってもらう。その目的を達成するためには今回のようなそばの会のウェブサイトの拡充を考えていても限界がある。ウェブサイトにより確かに駅前のビラ配りよりも人目につく可能性は高いように見える。しかしどのような人が実際にそばの会のサイトを目にするのか考えたときに問題が顕在化する。おそらくはYahoo!やgoogleといった検索サイトで「死刑」という単語を使った検索の結果たどりついた人が大多数なのではないだろうか。

現在、知りたいことを知るシステムとしてインターネットを利用している人は多い。パーソナルメディアの発達によって「気付き」のチャンスは一見多くなったように見える。しかし、知りたくないこと・興味がないことにインターネットで出会うことは多いとはいえないのではないか。ビラまきのような不特定多数への主義主張はたちの悪いダイレクトメールくらいしか思い浮かばない。自分が興味がない「気付き」はどうしたら可能なのだろう。そのシステムがない限り、そばの会の「広く関心を持ってもらう」と一見ネットワークと親和性の高いテーマはなかなかうまく結びつかない。

三重県のe-デモ会議など、「気付き」+「対話」の場所として様々な実験が行われている。だが成果はいまだ未知数である。 さらに「気付き」が大規模に起こったとして、もしも、政治への「市民参加」が現実味を帯びてきた場合、参加数が多くやマナーが守られていればいいという話ではなくなってくる。気付いた市民同士がどんな協力を、どんな協調を、どんな批判を、どんな対話をしていけるのか。

興味の無いことにも気付くシステムや(悪質にならないネットワークを使ったビラまき?)、インターネットにおける匿名性の問題など、考えてゆくべきことは多い。


インターネットがあったならば、僕たちはもう少し真面目に社会変革に貢献できたかしれません。

あの頃の未来になり、インターネットを手にした僕たちに、何が出来るのか。次回の課題2(解決方法)への、課題としてこの問題を引き続き考えてみたい。