井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

「研究」と「勉強」の違い

研究会の新規履修者の面接を行った。SFCでは、学部1年生から研究会に所属し、研究に従事することができるので、1年生や2年生も新規希望者としてやって来る。

井庭研の面接は、担当教員の僕が一人で行うのではなく、研究会の現役メンバーを数人交えて行う。というのは、研究会というのは一種の「生き物」であって、もはや僕だけのものではないという思いがあるからだ。僕との相性のみならず、研究会メンバーとの関係もかなり重要なのだ。面接では、新規希望者一人につき、30分の時間をかけて、取り組みたい研究テーマや、興味・関心分野について話をきいていく。

その研究会面接で、僕が必ず言う話がある。それは、「研究」と「勉強」の違いについての話だ。面接で、研究テーマをきいてみると、「~を勉強したい」と答える人が多くいる。こう答えるというのは、「研究」と「勉強」の違いがよくわかっていない証拠だ。研究テーマについて話しているのではなく、これから知りたいことを挙げているに過ぎない。そこで、僕は面接時に、「研究」と「勉強」はどう違うのか、ということを説明する。

ResearchFrontier400.jpg


まず、「知のフロンティア」があるとしよう。こちら側には、人類が現在知ってる「既知」の領域が、そして向こう側には、人類がまだ知らない「未知」の領域が広がっている。これから研究を始めるとき、当然、僕らはフロンティアに立っているわけもなく、そこから遠いところにいるだろう。そして、少しずつ知識をつけて前に進んでいく。そしてあるとき、フロンティア・ラインの一地点に到達するだろう。このようにして、既知の領域を進んでいくことを「勉強」という。不勉強でビハインドだった自分が、授業や本、人の話などから知識を得て、いまどこがフロンティアなのかがわかるようになる。これが「勉強」をするということだ。

これに対し、「研究」というのは、まったく異なるアクティビティだ。研究とは、フロンティアからさらに一歩前へ進み、既知の領域を広げるということ。もちろん、道なき道を開拓しながら進んでいくことになるので、それはとてもしんどい作業であり、一朝一夕にできるものではない。さて、ここで重要なのは、かならずフロンティアを開拓しなければならないということだ。すでに開拓されているところで、新たに開拓したとしても、それは「車輪の再発明」であり、研究にはならない。SFCカリキュラムの言葉に照らして言うと、「研究=先端×創造」なのであり、「研究とは、先端領域で創造を行うこと」なのだ。「研究」には「勉強」が不可欠だが、いくら「勉強」をしても「研究」にはならない。この「研究」と「勉強」の違いを意識することが、研究テーマを考える上でとても重要なのだ。

この「研究」と「勉強」の違いという話は、実は、僕がまだ学部生だったころ、竹中平蔵先生が研究会でよく語っていた話だ。この話は、「研究」と「勉強」の違いを非常にクリアに言い表していると思う。そんなわけで、僕は毎年、この話を面接のときに繰り返し話す。

研究会は「研究」のための場であるから、研究テーマをもった人たちの集まりだといえる。なので、研究会面接で熱く語ってほしいのは、勉強テーマではなく、研究テーマについてなのだ。荒削りでもいい。「研究」へと向かう志向性がほしい。そして、できるかできないか、という現実性よりも、何をやりたいのかというヴィジョンがほしい。

以前紹介した『音楽を「考える」』(茂木健一郎, 江村哲二, ちくまプリマー新書, 2007)のなかで、茂木さんと江村さんが、次のように語っている。まさにそのとおりだと思う。

(茂木)「若いときには自分の使える技法やツールと、胸に抱いている大志、夢見ている世界との間には明らかに大きすぎるギャップがある。それくらいアンバランスなやつじゃないと、表現者としては大成しないんだということが経験でわかりました。これはほとんど例外がない。」(p.47)

(江村)「結局は、自分に何ができるかじゃなくて、何がしたいかなんです。何ができるかなんて言いはじめたら、何もできなくなっちゃう。まずはそんなことはどうでもよくて、ただただ自分は何がしたいと思っているのか、という問題に尽きます。」(p.48)

面接で僕らが見ることに、自分の研究・活動をドライブするような内発性をもっているか、ということがある。なかなかそれを感じさせてくれる人がいないのが現状であるが。。。同僚の土屋さんは、研究テーマには「愛」か「憎しみ」がなければならない、という。研究へと自らを突き動かす「情熱」が必要なのだ。そうでなければ、しんどい研究作業など続けられるわけがない。

繰り返し言うけれども、荒削りでもいいので、自分なりの研究テーマの糸口をもっていてほしい。そして、自分をドライブする内発性をもっていてほしい。それが、研究を志すみんなへの本質的なメッセージだ。
「研究」と「学び」について | - | -
CATEGORIES
NEW ENTRIES
RECOMMEND
ARCHIVES
PROFILE
OTHER