井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

「顕在的機能」と「潜在的機能」 (機能分析とは何か? 前編)

社会学者ニクラス・ルーマンは、自らの拠って立つ「方法」を「機能分析」(functional analysis)だとしている。主著の『社会システム理論』のなかでも、「機能的方法は、結局のところある種の比較の方法なのであり、現実へそれをあてはめることは、現存しているものの別様のあり方の可能性を考慮して現存しているものを把握することに役立つのである」(Luhmann, 1984:p.84)として、機能分析の説明に多くのページを割いている。「機能分析」とは、もともと文化人類学で生まれ、その後、社会学において精緻化されていった方法であり、一種の理論技術だ。機能分析の基本的な考え方は、物事の「構造」ではなく、「機能」に着目して分析を行うというもの。

僕は、クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージも、複雑系科学で行われるモデリング・シミュレーションも、「まぼろしのコンセプト」の話も、根底の部分では、この機能分析とつながりがあると考えている。それがどのようなつながりなのかを説明するために、まずは「機能分析とは何か?」について解説しておくことにしたい。


ここでは、社会学における機能分析の整理を行ったロバート・マートン(Robert Merton, 1910~2003)の話から始めることにしよう。

かつてマートンは、「機能分析は、社会学的解釈の諸問題を扱う現代の研究方針のなかで、もっとも有望である反面、おそらくもっとも系統立って整理されていない」(Merton, 1964: p.16) として、手法としての機能分析の要件を整理した。マートンの主張のなかで最も示唆的だったのは、機能分析によって「顕在的機能」だけでなく、「潜在的機能」について理解することが重要だという点だ。

マートンは、機能分析について、雨乞いの儀式を例に説明する。ある部族が「雨乞い」の儀式を慣習的に行っているとしよう。この雨乞いの機能として考えられるのは、この儀式によって天候に影響を及ぼすという機能だろう。これを「顕在的機能」(manifest function)という。しかし、この機能の効果は、現代の私たちの知識をもってすると、期待できるものではないことがわかる。雨乞いをしたからといって、実際に天候が変わるわけではないのだ。それでは、この「雨乞い」の儀式は、非合理で無意味なものなのだろうか?

RainMaking200.jpgここでマートンは、機能分析は「顕在的機能」を明らかにすることが目的ではない、と指摘する。その背後に隠された機能に注目することが重要だというのだ。雨乞いの儀式の場合、よくよく観察してみると、実はこの儀式にも隠れた機能が存在していることがわかってくる。その隠れた機能とは、部族が一体となって儀式を行うことで、部族内の連帯意識を強めるという機能だ。このような隠れた機能のことを、「潜在的機能」(latent function)という。この儀式の機能を「雨を降らす」という顕在的機能のみで判断すると、「合理的ではない」と判断せざるを得ないが、潜在的機能も考慮に入れると、その部族にとってきわめて合理的な儀式であることがわかってくる。

今の話は、以前取り上げた「ストーン・スープ」の話と通じるものがある。石(ストーン)を煮ることは、表面的には意味がないが、それによって多くの村人が寄ってきて、協力しあうことになる。ストーン・スープの顕在的機能は「石のスープをつくる」ということだが、潜在的機能は「それによって多くの村人が協力しあうきっかけをつくる」ということである。潜在的機能は、あくまでも顕在的機能の背後で、潜在的に存在しなければならない。潜在的機能を表に出してみたところで、それだけでは機能しないのである。このことは、雨乞いの儀式と構図が似ているので、わかりやすいと思う。社会的な仕組みをデザインするときには、顕在的機能と潜在的機能の両方を考えることが重要となる。

このように、機能分析では、顕在的機能のみならず、潜在的機能も併せて理解することが重要だ。これがマートンの主張した重要なポイントなのだ。

【References】
『社会システム理論〈上〉』(N.ルーマン, 恒星社厚生閣, 1993, 原著1984)
『社会理論と社会構造』(ロバート・K. マートン, みすず書房, 1961)
『社会理論と機能分析』 (マートン, 青木書店, 1969, 原著1964)
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