藤沢2020ヴィジョン
 
1. 2020年の藤沢市ヴィジョン
2. 山本市長ヴィジョン
3. 2020年の社会システム
4. 2020年の藤沢市ヴィジョンの試案
2.山本市長ヴィジョンの検討

山本市長は、すでに『市民が一生安心してくらせるまち』という都市ヴィジョ ンをもって、現在の市政にあたっている。このヴィジョンは、2020年までを射 程にいれた場合、どのような長期ヴィジョンとして再創造されるのであろうか。

では、『市民が一生安心してくらせるまち』が想定している社会は、どのよう なものであろうか。

1)成熟社会

現在のヴィジョンは、「活力・創造・共生」という、都市全体に強い活気があっ て、どんどん前進しながら、次から次へと新しいものを創造していくという、高 度産業社会と豊かな消費社会を具現化する方向で描かれている。これにたいし て、山本ヴィジョンでは、高齢社会が現実のものとなったことを前提にして、い ままでの産業社会と消費社会の次に来る社会が想定されており、しかも高齢化に 適合するために必要なヴィジョンが描かれている。それが、成熟社会のイメージ である。

ここで必要なのは、活力ある産業である以上に、安心できる生活であり、創造 的な企業の躍進である以上に、心のやすらぎがえられるムラ的な共同体であろ う。これは、確かに成熟社会のひとつのイメージであり、高齢者が多く居住する 地域には不可欠の社会ヴィジョンであろう。

2)福祉社会

もうひとつのイメージは、福祉社会のイメージである。ここには、高齢者が単 なる弱者ではなく、社会のメンバーとして周囲から尊敬されながら一生を過ごす というヴィジョンが期待されている。それが『一生安心してくらせる』というこ とである。戦後の貧しい社会から、産業化と都市化の波に乗って、毎日頑張って 仕事に精を出してきた最後の世代である団塊の世代が、高齢化する時代になっ て、やっとのんびりと暮らせるような社会になった、というイメージが成立する 社会ヴィジョン、それが福祉社会である。

この2つの社会イメージは、高度産業社会と豊かな消費社会を超える視点として、また現実の要請である高齢化にたいする対処の視点として、十分に支持でき るものである。

しかし山本ヴィジョンに、問題がないわけではない。以下、どの ような点が不十分であるか、を検討する。

1)情報化の視点

山本ヴィジョンに欠落している最大の問題は、情報化をどのようにヴィジョン に組み入れるか、という視点である。成熟社会の到来は、その前提にどのような 情報化ヴィジョンをもつか、をいうことを抜きにしては、何も語れない。つまり 成熟社会が、高度産業化と豊かな消費社会の次に期待される社会になるには、情 報化をどのように考えるか、という視点が不可欠である。その視点を欠落させる と、成熟社会は、かつての福祉国家論的な方向でしか語れない社会になってしま おう。『一生安心してくらせる』社会とは、単に高齢者にやさしい福祉社会では なく、社会のメンバーすべてが、仕事にかんしても、生活にかんしても、いまま でとは違った新しい視点から、社会的な行動を開始する社会でなければならな い。それには、情報化の問題にしっかりとした解決策をみつけなければならな い。

2)新しい生活=地域社会の視点

2020年の藤沢市でくらす市民は、どのような家族を構成し、どのような生活 をするのだろうか。そこでの家族=生活のヴィジョンは、どうしても核家族を中 心にした専業の形態が重視され、その結果、生活が憩いとかやすらぎといった、 仕事抜きの、心理的安定と文化的充足を求めた形態を重視している、という現状 の家族=生活のイメージがそのまま継承されているようである。

高齢社会を維持するには、現状の核家族を中心にした形態では無理ではないの だろうか。家族は、もっとその境界を外部に開かないと、家族としても維持でき なくなる、という認識が高齢社会をイメージする場合に必要である。高齢社会 は、家族で高齢者を支えるのはなく、地域社会で支えなければならない。とする と、生活のヴィジョンがもっと変わらなければならない。それは、機能の専業化 を軸としてものではなく、機能の融合化を前提にした生活のイメージを描くこと が期待されるのである。とすれば、生活の場に、仕事がもっと入って来なければならない。ここにおいて やっと、地域社会が、仕事と家庭の受け皿として実質的な機能を期待される空間 として存立するのである。

3)多様な価値の視点

人々はあきらかに多様性を求めている。安心できる生活は、その前提として不 可欠であるけれども、そのうえで、自分にふさわしい価値(幸福)の探索と発見 が生きるうえでの重要なテーマになっている。安心できる暮らしは、生きる価値 を実現させるための手段であり、生活上の前提にすぎない。ということは、安心 な生活を支援することは、ある意味では自明であり、成熟社会ならば、  それ以上 の何かを提示することが必要であろう。しかも、それ以上の何かはどこまでも多 様であり、それぞれの価値の探索と発見が人々にとって重要な生活テーマになる はずである。その意味で、多様な価値の視点は付加すべきことであろう。