藤沢2020ヴィジョン
 
1. 2020年の藤沢市ヴィジョン
2. 山本市長ヴィジョン
3. 2020年の社会システム
4. 2020年の藤沢市ヴィジョンの試案
3.2020年の社会システムにかんする想定

これから20年後の社会システムを予測することなど不可能に近いことである が、どのような社会であってほしいか、という価値観を含んだうえでの社会シス テムの方向性にかんしては、ある程度の推測は可能であろう。そこで、以下どの ような社会システムへの変容が期待されるか、その条件をいくつか明記すること にする。

1)高齢化から成熟化へ

高齢社会の到来は自明である。2020年の段階では、65歳以上の高齢者の割合 はほぼ25%に達するという推計になっている。その数字の正確さはともかく、現 状以上に、高齢者のパーセントが一気に上昇することは事実である。とすると、 高齢者を、現状の高齢者のように、単に優しく保護する対象として理解すれば、 それでいい、という状況では、もはやなかろう。高齢者をもっと経済的にも社会 的にも、そして文化的にも実質的なメンバーとして自立を促すようなシステムが 不可欠であろう。高齢者が十分に働き、高齢者が文化創造の担い手となっていろ いろなことに挑戦するような、成熟した社会システムを構築することが必要である。
高齢化ではなく、成熟化が必要なのである。事実としては、高齢化は確実に進 行するが、だからこそ、高齢者が社会の自立したメンバーとして生活できるシス テム、若さだけが価値をもつ社会を超えた、新しい成熟した社会を構想しなけれ ばならない。その時、高齢化問題にたいして、十分な回答がもたらされるはずで ある。

2)モバイル・ネットワーク化の浸透

情報化にかんしては、現在想像できる水準はほぼ達成されていよう。マルチメ ディアを基本して超高速のモバイル・ネットワークが充実して、いつでもどこで も簡単にアクセスできて、インターラクティブなコミュニケーションが自由にし かも低コストできるようなシステムができていよう。  この新しい情報化の進展は、いままでにない、まったく新しい社会システムの 生成を可能にしよう。問題は、この新しいメディア環境のもとで、どのような経済的・政治的・社会的・文化的なシステムを創造するか、である。これには、情 報化がもつ意味を理解しなければなならない。

3)消費からリサイクル(環境)へ

いままでの社会を支えてきた原理は、近代化であり、それは55年以降の産業 化と都市化による高度経済成長(産業社会)の路線であり、その後、75年以降 に始まる消費化とパーソナル化により、個々人のニーズを充足させることが至上 価値になっていった消費社会(あるいは高度産業社会)の路線である。
しかしこの流れは、成熟化と情報化と共振するなかで、あきらかに変わろう。 消費を核にした経済・文化は、ここ4半世紀の間に限界にあたり、新しい価値を 探索するであろう。それは、地球環境をどう維持すればいいか、という視点であ り、リサイクル化を重視する姿勢である。既存の資源をどのようにすれば循環す るか、有限な自然資源をどのように効率的に活用するか、という視点で、減らない社会をどうやって構築すればいいか、という社会システムへの変更が期待され よう。資源と環境の限界問題にたいして、脱消費の方向が模索されよう。

4)ローカリティの復権

かつて地方の時代が声高らかに叫ばれたが、その実態はかけ声だけで終わって しまった。地方分権の思想は、まだ消費社会の段階では、早すぎたスローガンに すぎない。しかし2020年のネットワークを核にした社会システムでは、まさに ローカリティの復権が不可欠である。ネットワークの時代を支える地域空間的な 単位は、30万人程度のローカリティである。そこから、新しい政治も、経済も、 文化も生成されることが重要である。階層的な組織がネットワーク化するよう に、空間的な階層性もその絶対性を失い、相対的に、それぞれのローカリティの 重要性が増大しよう。これによって、地方生活圏がはじめて実質的な意味をもつ 空間として立ち上がるのである。

以上のように、2020年の社会システムを構想するには、

(1)人口構成にかん して、どのような期待を確定するのか、

(2)情報とメディアにかんして、どの ような未来が構想されるのか、

(3)さまざまな資源にかんして、どのような方 向で活用していくことが必要なのか、そして

(4)空間構成にかんして、どのよ うな未来が展望されるのかを、

それなりに明確にしなければならない。