|
4.2020年の藤沢市ヴィジョンの試案
2020年の藤沢市ヴィジョンの試案2020年を想定すると、藤沢市はどのような都市であることが望ましいのか。
そ れを、以下、(1)都市像、(2)基本理念、(3)基本指針の3つの点から提案 する。
(1)都市像
「成熟した湘南環境が生成され、多様な生活市民が支援しあう共振体」 藤沢市は、他の都市にはない、さまざまな新しい地域資源をもとに、従来の都 市のイメージを一新して、2020年に期待される成熟したネットワーク社会にふ
さわしい都市のイメージを明確にしなければならない。
しかも単純な意味での高齢社会を迎えるのでなく、新しい高齢者の役割を設定 することで、高齢者が福祉の対象として一方的に保護されるのではなく、みずか らの意志でもって生活できる自律的な高齢者として生活できるような社会にしな
ければならない。それは、高齢社会のイメージではなく、まさに成熟社会そのも ののイメージである。産業社会が作り出した、若さに偏重した社会(だからこ そ、高齢者は弱者としてしか生活できなかった)ではなく、もっとゆとりと豊か
さが実感される生活と文化を重視した、もっとも人間らしいバランスのとれた成 熟社会を創造しなければならない。
ネットワーク環境が完璧に整備されることで、藤沢市は、地球規模を視野にい れなければ、藤沢市の個性を確立できなくなる。藤沢市は、グローバル・スタン ダードを前提にした都市経営を考えなければならない。すでに、国の行政機構の
指令に従っていればよかった、という時代ではない。国家を超えたグローバル・ スタンダードを意識した行動原則が不可欠である。それが、ネットワーク社会に おける都市(自治体としての藤沢)の行動原則である。藤沢市は、地球規模での
競合関係のなかで、藤沢市らしい個性を発揮しなければならない。グローバル・ スタンダードのルールの中で、藤沢市の差別化戦略を展開しなければならない。
しかも、ネットワーク環境の整備は、一方で地球規模を視野にしれた都市づく りを求めるが、同時に、物理的な制約を前提にした、新しいコミュニティの形成 が不可欠である。従来の社会問題は、基本的には、組織なり家庭なり、その社会集団で処理され、処理不能な場合にのみ、コミュニティが必要とされた。それが
福祉というコミュニティである。しかし新しい社会では、すでに機能的な社会集 団のレベルでは、社会問題を解決することはできない。高齢化も教育問題も、す べて、社会に開かないと解決できない。そのとき、新しい受け皿が必要になる。
それが、コミュニティである。かつての共同体とは違った、新しいコミュニティ が期待される。それは、コミュニティ自体も外部に開かれていなければならな い。それがネットワークに支援された新しいコミュニティのイメージである。こ
こでは、それを「共振体」と呼ぶ。これは、外部に開かれながら、内部に向かっ ては相互支援のネットワークが機能する空間である。その相互支援こそ、ボラン ティアの倫理からなる新しい絆である。
藤沢市という都市そのものが共振体にならなければならないし、その内部も、 多様な共振体のネットワークから構成されるものにならなければならない。そう することで、個々人の生活支援から都市そのものの経営にいたるまで、自在にし
かもダイナミックに対処できるコミュニティが形成されるのである。
生活のイメージも、変わる。核家族に代表される専業のシステム(主人は外で 働き、主婦は内を守る)は、ひとつのスタイルにすぎなくなる。もっと多様な家 族のスタイルが同じ価値をもつものとして許容される社会になる。とすれば、そ
のような多様な生活スタイルをすべて包み込む受け皿が必要になる。それは、も はや個々の家庭や企業組織や学校といったレベルではなく、もっと大きな規模で の支援が不可欠になる。それが、共振体としての藤沢市という都市である。ネッ
トワーク社会になるほど、都市という空間規模に期待されることは、従来の社会 では考えられないほど、大きい。その大きな期待に即応できる都市システムが、 ここでいう、共振体である。
共振体は、その環境として、ネットワークという環境ばかりか、自然環境への 配慮を重視する。地球規模を視野にいれれば、自然環境への対応は欠かせない し、生活市民のスタイルを考えても、いかに豊かな自然を保有するか、は重要な
課題である。ここでは、新しい倫理観が支持されなければならない。いままでの ような、消費にこだわる姿勢には、それなりの歯止めがかけられなければならな い。リサイクルを重視した都市にならなければならない。湘南は、消費される場
ではなく、新しい自然環境を提示するものになり、観光資源である以上に、生活 市民の文化資源として再生させなければならない。湘南環境とは、他の都市には ない豊かな自然環境を誇るものでなければならない。そこにこそ、成熟した都市
の品格が漂うものである。
(2)基本理念
新しい藤沢市の都 市像を支える基本理念は、つぎの3点である。それは、いま までの都市像の理念である「共生・活力・創造」を継承しつつ、それらを新しい ネットワーク社会のもとで再生させ、さらに一層飛躍させた理念である。
1)成熟のなかの多様性(マチュアリティ&マルチディシプリン)
2)共振のなかの自律性(ネットワーク & ガヴァナンス)
3)環境のなかの倫理性(アンビエンス& ボランティア)
1)成熟のなかの多様性(マチュアリティ&マルチディシプリン)
藤沢市の2020年を想定するとき、一番重要な理念は、高齢化ではなく、成熟 化である。高齢化は現象としての社会的事実ではあるが、それに対処する理念で はない、ということを、しっかりと把握しなければならない。高齢者は、どのよ
うな役割をもって、藤沢市のコミュニティに参加するのか。その役割を、社会的 な保護を一方的に求める弱者と設定することは、基本理念からは、はずれるもの である。高齢者であっても、可能なかぎり、積極的に自分の生活を自律的に維持
しなければならない。健康で文化的な生活は、高齢者であっても、自明な要求で ある。とすれば、高齢者こそ、自由なゆとりをもって、人生を謳歌する存在と して役割設定されなければならない。高齢者こそ、藤沢市のヴィジョンをもっと
も体現する生活市民にならなければならない。高齢者は、その人生の最終にあっ ては、確かに医療関連での支援を必要とするが、それは最後の最期のことであ り、それ以前は、自由な生活市民として生きる権利をもつ存在である。とすれ
ば、そのような高齢者は、単純な意味での不自由な老人ではなく、豊かな教養と それなりの資産をもって暮らす自由人であり、まさに成熟した大人なのである。 高齢者こそがより若い市民のモデルになるように、高齢者の役割を設定する必要
がある。
高齢者こそが真の自由人ならば、かれらのライフスタイルは多様である。決ま り切ったステレオタイプの老人ではない。多様性こそが、成熟した高齢者の生き 方を正当化する理念である。これこそが、2020年に、高齢者が多い社会を、あ
る価値ある理念として描く時の方法論である。 このような理念は、単に高齢者だけに限定されるものではない。すべての生活 市民に共有される新しい理念である。若いだけで、価値をもつ時代ではない。若
さは単に可能性だけを保証するもので、それだけが価値をもつような時代はすで に終わったのである。藤沢市の市民は、若者であっても、多様で成熟したライフ スタイルを求めて、仕事を、友人関係を、そして家庭生活を送るようになる。そ
こにこそ、藤沢市の生活市民の新しい多様で自由なスタイルが実現され、新しい 都市のリアリティが立ち上がるのである。
2)共振のなかの自律性(ネットワーク & ガヴァナンス)
高齢者でさえ、自律しなければならない。とすれば、それ以外のすべての生活 市民が、もちろん子供でさえ、しっかりと自律しなければならない。この生活市 民とは、個人でもあるし、集団でもあるし、組織体や行政体でもある。どのレベ
ルの生活市民であれ、自分のことは自分で決める、ということを共有された価値 としなければならない。
しかしこの自律性の理念は、共振性という補完する理念との関連を必要として いる。従来の自律性の価値が、自己完結的な形態での自律であったのにたいし て、新しい理念は、共振性との表裏一体化を重視する。これがネットワーク社会
における重要な視点である。生活市民は、どのような主体であれ、自己完結的で あってはならない。つねに外部に開けれ、自己の境界を強固にしてはならない。 自己の境界を緩やかにすることで、外部とのコミュニケーションを自在に行える
ような仕組みにしなければならない。個人も、家族も、学校も、組織も、行政 も、ネットワークの支援のなかで、つねに外部に開かれたチャネルをもつこと で、自律性を維持しなければならない。当然、その結果、自律性といっても、か
つてのように、外部との対立・緊張とか外部からの孤立・無視を前提とした自己 決定ではなく、外部の緊密な関係に支援されたところでの自己決定である。重要 なのは、共振する関係をいかに実現するか、である。それは、ネットワーク環境
に期待されるところである。
従来の社会集団は、すべてある特定の機能に専念することで、自己の境界を強 固にして、その閉じた空間のなかで、特定の機能を効率的に追求することを目的 としてきた。しかしこのような閉じたシステムは、ネットワーク社会では、か
えって非効率で反創造的な事態をもたらすだけである。現在でも、多く見られる学校教育での問題、官僚的な階層組織における問題、また家庭にみられるさまざ まな問題、それらは、閉じた空間におけるひずみや歪みであり、ネットワーク環
境の支援によって、初めて解決可能なものばかりである。このように、さまざま な社会集団が開かれるから、その受け皿としてコミュニティが社会的実態として 必要になる。しかもそのコミュニティすら、外部に向かって開かれなければなら
ないから、コミュニティのなかで、一番拡大された実態である行政体としての藤 沢市も、つねに開かれた関係のなかで自律性を発揮することが期待されるのであ る。
3)環境のなかの倫理性(アンビエンス& ボランティア)
環境とは生活市民が暮らす場であり、それはネットワーク環境に支援されたサ イバー(ヴァーチャル)スペースばかりか、物理的空間としてのリアルスペース でもある。ヴァーチャルとは、仮想ではなく、事実上の存在として認知するとい
う意味であるから、新しい藤沢市では、生活市民はこの二つの実在する環境のな かで生活することになる。それは、身の回りの世界から地球規模の世界まで、多 様な世界を自己の生活環境として生きることを意味する。とすれば、この新しい
環境が投げかける世界の意味を再構成しなければならない。
ここでは、新しい生活倫理が期待される。豊かな社会の初期に許容された消費 (自己充足)の倫理を超えた新しい生活倫理が求められる。地球資源の有限性を 考えれば、省エネやリサイクルを自明とする倫理が必要であろうし、自然環境を
豊かにしないかぎり人間の存立もありえない、という、いわゆる環境問題に示唆 される倫理が重視されよう。
しかもネットワーク環境は、新しい人間関係をめぐる倫理を誘発する。それ が、ボランティアである。ネットワーク環境では、そこにいる人々は、自己に欠 落した情報を求めて情報探索行動をし、また、自己が所有する情報で、他の人々
を支援する。この関係は、基本的にはボランティア関係そのものであり、従来の 情報行動の情報の送受信関係(送り手=情報所有)にみられる交換や権力ではな い、新しいコミュニケーションである。とすれば、ここからも、新しい倫理が求
められるはずである。これは、新しい視野のもとで認知された新しい環境が投げ かける新しい倫理への要請である。
(3)基本指針
上記の3つの理念は、その具体的な表現として、つぎのような5つの基本指針 を求める。藤沢市の新しい都市像は、2020年を想定するとき、具体的には、つ ぎのような構造変革の基本指針となる。
1)モバイル・ネットワーク構想
2)グリーン・アンビエンス構想
3)マイクロ・エンタープライズ構想
4)ネット・コミュニティ構想
5)オープン・ガヴァナンス構想
1)モバイル・ネットワーク構想
2020年には、藤沢市のネットワーク環境は、現状とはまったく異なったもの になっているはずである。この場合、ネットワーク環境とは、サイバースペース でのネットワーク環境ばかりか、物理的な空間上のネットワーク環境の双方を意
味している。
この2つのネットワーク環境が相互に補完しあう関係になることで、藤沢の生 活市民は、まったく新しい生活環境を獲得し、あらゆる生活面での新しい可能性 を開くはずである。
1:情報ネットワーク環境
ここでの考え方の基本は、情報ネットワーク環境が、すべて個人のレベルで装 着される状況になっている、ということである。誰でもが、大容量の情報を、高 速でしかも安価に、個人の身体に装着されたメディア(現状では、携帯電話のよ
うな小規模なメディア装置)を利用して、いつでも、どこからでも、自在にコ ミュニケーションがグローバルな範囲で実行できる、という環境になっているはずである。
とすると、このような情報環境の方向性を前提にして、藤沢市にふさわしい情 報ネットワーク環境の具体的な構築をしなければならない。そのとき、慶應大学 のもつ拠点性は重要であり、そことの緊密な連携を基点に、さまざまな藤沢らし
い環境整備を展開しなければならない。
ここでのネットワーク環境では、つぎの点が不可欠である
・超高速・大容量で安価なネットワークインフラの構築
慶應大学の存在は、どの都市よりも、より早期に、生活市民に使い安いネットワークのインフラを提供することに、大きな貢献をすることだろう。それによって、生活市民は、他の都市の市民にくらべて、さまざまな意味で、ネットワーク社会を先取りし、それにふさわしいライフスタイルを実現することだろう。経済活動でも、政治活動でも、社会文化的な活動でも、また、地域の福祉にかんしても、いままでとはまったく異なった新しい可能性をもたらすことだろう。このインフラ整備は、藤沢市の生活基盤を根本から変革するもっとも大きな要因である。
・モバイル・インフラの新展開
これは、ネットワークは、すべての個人が自在に移動しながら、コミュニケーションがとれることを基本として設計されなけらばならない。ここでは、ムービング・イメージが常態で、静止状態でのコミュニケーションこそが特殊ケースである。これは、場所からの制約を取り去り、どこでもが、個人の情報拠点になることを意味する。まずは、箱物が必要だ、という発想はすべて排除され、重要なことは関係(ネットワーク)をいかに構築するか、ということになる。
ネットワークは、家庭とか組織という場所につなげることではなく、直接、すべての個人につなげることが重要である。その時、ネットワーク環境は、あらゆる生活面にたいして、まったく異なった局面をもたらすはずである。これは、単純に藤沢市という境界を維持すればいいという発想を後退させる。境界を共有することを前提に、他の都市(地球規模までの視野)との連携をさらに緊密にしながら、藤沢市の自律性を指向するということが必要になる。この発想は、空間的な境界にかんしても、大きな影響をもたらそう。
・通信と放送を融合した、藤沢市に固有のデジタル・ステーション構想
これは、CATVを超えて、新しい藤沢局を、まったく新しいコンセプトのもとで構想するものである。しかも既存の地上波系のTVまた衛星系のTVともつながり、また市民の情報発信ニーズ(ミニFMなど)をも取り込み、さらには現状のインターネットでの各種のホームページなどをも取り込んで、すべての情報環境を融合させ、発展させた情報ステーションが、期待さよう。これによって、生活市民は、個々人のニーズに合ったカスタマイズされた情報を、いつでも、どこからでも受信でき、しかも、個人からも発信できるようになる。そのことで、生活市民の情報環境を支援する重要なインフラが整備され、藤沢市のサイバーコミュニティの核が形成されよう。
2:交通ネットワーク構想
ネットワークの発想は、サイバー空間ばかりでなく、物理的な空間構成にかん しても重要な貢献をもたらさなければならない。従来のように、中央と周辺とい う階層的な交通体系ではなく、藤沢市を一つの自律した空間として設定し、そこ
から周囲の都市との関係そして全体社会との関係を、分散と協調の視点から再構 成しなければならない。その場合、従来のように、産業軸と生活軸と自然軸のよ うな階層構造を前提にした都市(交通)構造を描くのではなく、この3軸をいか
に融合させるか、という発想が必要である。もちろん階層性を無視するのではな い。高速道路やマストラが広域的な交通として必要であり、それによって、広域 的な通勤なり物流が可能になることは事実である。しかしそれは、藤沢市の交通
ネットワークを構想するさいの一つの要因にすぎない。重要ことは、生活市民に は、自然も生活も産業も、同じように不可欠だ、ということであり、その等価な 視点から交通ネットワークのあり方を構想することである。
・生活交通ネットワークの整備
藤沢市を囲む鉄道網(公共交通機関)が完成され、そこでの駅へのアクセスが短時間でできるようになろう。マストラの交通ネットワークの整備は、生活市民の生活行動範囲を非常に大きなものにしよう。しかしそればかり か、そのアクセスのための生活道路は、自然環境と十分に融合したものでなければならない。それは、単に効率的であるばかりか、それ以上に、地域環境に馴染み、地域社会を活性化する機能を果たすものでなければならない。 このことは、2つのことを重視する
・・新しいライフスタイルにあった交通ネットワーク
新しいライフスタイルでは、家庭は憩いだけの場ではなく、仕事場でもあり社交場でもある。仕事ならば、それは、モバイル・オフィスであり、特定された仕事場にいかなければ、仕事ができない、というスタイルではない。いつでも、どこでも仕事場は立ち上がる。とすると、このようなモビリティの高いライフスタイルにあった交通ネットワークは、いままでのように、都心と郊外をいかに効率的に結ぶか、という視点ではなく、もっと多様なネットワークを必要とするはずである。
・・高齢者を支援する交通ネットワーク
高齢化は進展するから、かれらが可能な限り、広域的な活動ができるような交通ネットワークを用意することは必要であろう。高齢者であるほど、かれらの行動範囲を拡大させる方向で支援する交通基盤が必要になる。高齢者は、ここでは、単なる弱者であってはならない。そのためには、高齢者が生活市民として自律できるような交通ネットワークを整備することは、非常に重要なことである。
・広域交通ネットワークの整備
ここでは、新しい産業と生活が緊密な関係にある都市構造にふさわしい広域的な高速ネットワークを整備することが重要である。藤沢市の産業構造は、従来の産業化と都市化によってもたらされた郊外型の大規模工業団地を中核にした産業構造から、ネットワーク社会にふさわしい情報産業を核にした産業構造へと変化している。この新しい産業構造のもとでは、かつてのような産業軸を実現するためだけの道路ではなく、地域社会の自然=生活環境に馴染んだ道路への変換が必要である。
・・新しい産業構造の基盤になる交通ネットワーク
藤沢市がどのような産業構造を推進するか、によって、広域的な交通システムの整備の方向性は、大きく影響をうけよう。今までは、産業化と都市化を優先する視点から、誘致された都市郊外型の大規模な工場の物流システムに効率的に対応できるような広域交通システムが推進されたきた。しかしこれからの藤沢市の核になる産業は、情報関連のマイクロエンタープライズを重視した産業構造であり、従来のような広域交通システムではない、新しい広域的な交通システムが期待されよう。従来の計画では、慶應大学を拠点とした新しい産業軸の構築に対応して、従来通りの広域交通システムが想定されているが、今後の産業構造の新展開を考慮すれば、それとは異なった新しい広域交通システムが期待されよう。そこでは、単純な階層的な交通ネットワークではない、新しい視点からの広域交通システムの構築が実行されよう。
・・広域の都市構造との緊密な関連
都市構造は、単に藤沢市だけで完結するものではなく、ネットワークが進むほど、外部の都市との緊密な関連が考慮されなければならない。藤沢市を含んで、100万人都市の規模で、どのような都市構造を想定するのか、を検討しなければならない。その都市ヴィジョンをもとに、藤沢市としての広域的な交通システムの再構成を考えなければならない。
2)グリーン・アンビエンス構想 --消費から、リサイクルへ--
環境への配慮は、ますます重要になってこよう。自然環境、都市環境、生活環 境など、さまざまな環境をいかに大事に維持するか、という問題は、倫理観から 実行政策にいたるまで、多様な層で重視されよう。ここでの基本コンセプトは、新しいコミュニティを生成するには、その環境整
備の基本を「グリーン・アンビエンス」にすべきである、というものである。モ バイルネットワーク環境における新しい情報ネットワーク・インフラと交通ネッ トワーク・インフラに対応して、その環境にふさわしい地上空間の整備をしなけ
ればならない。その場合、インフラとしてのネットワークの意図に対応して、リ サイクルの発想が期待されよう。資源であれ、環境であれ、そこにはあきらかに限界問題があるから、従来のようにニーズがあるから消費すればいい、というの
ではなく、そこに限界問題を解決する視点を導入しなければならない。それが、 リサイクルのコンセプトである。 いままでの生活環境のもとでは、消費するこ とで豊かさが享受されるという楽観的な発想が支配的であった。しかし2020年
は、そのような発想であってはならない。あきらかに消費する価値が低減するこ とを前提に、それを超える発想が期待されるし、その期待に沿って、環境整備の 基本が語られなければならない。それが、リサイクルである。
1:都市・生活環境の緑化
グリーン・アンビエンスは、リサイクルの発想を基本にして、藤沢市の都市・ 生活環境をもっとも恵まれた自然で満たす構想である。都市と生活環境は豊かな 自然環境と融合しなければならない。身近な自然から広域的な自然まで、それが
都市・生活環境に融合することで、藤沢市らしい環境が整備されなければならな い。これは、自然環境を単独で孤立させて保存する発想ではなく、自然と都市の 環境がつねに一体化して共存する方向をめざすものである。
藤沢市は、どこでも、市街地でも、北部の住宅地でも、そこの土地特性に応じ て、可能なかぎり豊かな自然を育てなければならない。とくに北部地域の都市・ 生活環境にかんしては、必要以上に豊かな自然でおおいつくす、という発想が期
待されよう。あたかもリゾートで生活をしているかのような気分になるような環 境設計が重要であろう。
2:リサイクル環境づくりの支援
環境は、すでに生活市民の生活の外部にあって、市民が消費した後の廃棄場で はなく、内部にあって、生活市民の行動を制約する重要な要因である。その場 合、生産・消費そして廃棄という一方向的な流れではなく、それを生産資源とし
て再利用したり、自然環境のサイクルに戻す、といった資源の循環ループにのる ような形で、すべてのあり方を変革しなければならない。それは、広い意味での ゴミ問題を、廃棄ではなく、循環の軌道にのせる、という方向転換である。それによって、都市のあり方はまったく異なった様相をもつであろう。省資源、省エネルギーを前提に、都市そして生活のあり方を、根本から変えな
ければならない。しかもそのあり方は、都市のレベルでも、生活のレベルでも、 生産・消費の経済活動にあっても、あらゆるレベルで、リサイクルの重要性が確 認されなければならない。
3:観光から環境へ
湘南地域は、観光地として大きな価値をもつ地域である。夏の海岸は、外部か らの若者でにぎわっている。しかし今後の方向としては、いかに海岸の景観を維 持し、夏であっても、賑わいと共存しうるすばらしい湘南の環境を維持するか、
という視点を重視すべきである。湘南の自然と景観の環境が価値を失えば、観光 としての価値も消滅する、という関係にある。とすれば、まず優先すべきこと は、環境としての湘南の価値である。従来、ともすれば、環境には限界がない、
という無意識の前提があるがために、観光資源としてのみ、湘南の価値を計算し ていたが、問題は、もっと根本的なところにある。とすれば、湘南の環境の維持 こそが最優先されるべき課題であり、その視点から観光のあり方を考えるべきで
あろう。湘南は、藤沢市のグリーンアンビエンスのシンボルとして重要なポジ ションをしめるものである。
4:ライフラインとリスクマネージメントの充実
自然・都市・生活のあらゆる環境インフラにおいて、快適性と安全性の確保は 絶対的な要望である。それが、ライフラインとリスクマネージメントの充実であ る。防災・防犯への適切な配慮、上下水道の維持管理など、生活市民の最低限の
生活を保障するシステムを充実させ、環境インフラにかんする快適性と安全性を 確保して、生活市民が安心して暮らせる環境を整備することは、当然のことであ ろう。
3)マイクロ・エンタープライズ構想--誘致から、支援・育成へ--
藤沢市の産業構造については、ネットワークのインフラが充実することを前提 に考えると、従来のような大企業を誘致して、それに依存しながら、地元企業の 活性化をはかるという方向ばかりでなく、さらに加えて、新しい方向性が模索さ
れなければならないだろう。
ネットワークの環境を前提にすれば、期待される産業は情報産業であり、とく に、ソフト開発などの最先端の情報環境を操作する企業群であろう。この種の企 業は、従来のような大規模組織である必要はなく、少数の有能な人材からなるマ
イクロエンタープライズであろう。このような組織がコミュニティに埋め込まれ た形で活動する環境が重要であろう。ここでは、組織が生活環境と分離されて、 企業地域を構成するのではなく、新しいコミュニティを構成する重要な主体とし
て企業がある、という関係が望ましい。企業組織が、コミュニティや生活と融合 するように立地する方向が模索されよう。
1:SOHO型企業の影響力の拡大
SOHO(スモール・オフィス・ホーム・オフィス)は、藤沢市の企業群の中でも 重要な位置を占めるようになる。しかもこのような小さなしかし高い収益率を誇 る企業が、コミュニティに散在するように埋め込まれることが重要である。その
とき、藤沢市の産業構造は、まったく新しい都市型産業にリードされるようにな り、既存の構造とは違いコミュニティに密着した産業構造へと変化しよう。このような産業構造への変化があるからこそ、都市構造が機能分化(と階層性)をも
とにしたものではなく、もっと柔軟で融合的な構造に馴染むのである。
しかもSOHOの考えは、もっと展開して、モバイル・オフィスなどのように、 いつでも・どこでもオフィスがネットワークの環境のなかで立ち上がるようにな る。その場合、ますます機能分化の発想から企業活動を想定することは無意味に
なり、融合する関係をもとに、企業活動を考えることが不可欠になる。ここで は、大企業という組織の影響力は一層低下し、まさにマイクロエンタープライズを基本とした産業構造への変容が急速に進もう。
2:ビジネス・インキュベーター機能の充実と支援
藤沢市に仕事場をもてば、他のどの地域よりの仕事の環境が優れ、創造的な仕 事ができる、という環境を整備しなければならない。そうすれば、新しい起業家 精神にあふれた若年層が藤沢市に居住し、そこで仕事を起こすようになる。これ
は、既存の地域社会の高齢化を防いで、その活性化をもたらすばかりか、生活と 仕事を融合させた新しいライフスタイルを展開するには新しいコミュニティを基 盤にしなければならない、ということを理解するために必要なことである。つま
りコミュニティは、ビジネス・インキュベーターの機能を果たす場であり、新し い起業家を支援する場なのである。
3:ニューワーカーの雇用機会の拡大
新しいコミュニティに密着した企業群の躍進は、コミュニティに生活せざるを えない人材の活用機会を大幅に拡大する。「都心に職場、郊外は生活」という機 能分化が明確な時には、どんなに仕事の才能をもっていても、地域社会に職場を
見いだすことは不可能であった。しかしこのような企業がコミュニティに密着す れば、女性や高齢者といった、本来ならば十分に能力がありながら、職場から排 除されていた多くの人材がここでは新しい人材として積極的に活用することが可
能になる。
この利点は非常に大きい。高齢化が進み、高齢者の労働力に依存しなければな らないとき、また高学歴化のなかで、女性は家庭をもっても仕事を継続させたい とき、このような有力な企業がコミュニティに埋め込まれることは、高齢化や高
学歴化への対応策としても、もっとも好ましいことである。かくして、新しいコ ミュニティは、成人の男性ばかりでなく、高齢者も女性も働く場となり、 かつて のような単にやすらぎや休息の場としての地域社会ではなくなるのである。
4:コミュニティ・マーケットの支援
既存の商店街のように、地域に依存する商業などの活性化は、ネットワーク環 境の整備とそれにともなって必要とされる既存市街地の再開発によって、十分に 期待される成果をあげよう。それによって、新しい商業活動への意欲も増し、コ
ミュニティに密着して、市民のニーズに十分にこたえる商業活動が展開されよう。ここでの基本はポストコンビニであり、宅配の物流システムと情報ネット ワークが合体することで、新しい商業活動が展開される。そのとき、地元に生活
する商業店は大きなパワーを発揮するはずである。ネットワーク環境の支援は、 既存の弱小の商業店舗の活性化を促す有力な援護支援なのである。
4)ネット・コミュニティ構想--福祉からネットボランティアへ--
2020年のコミュニティは、まったく異なったものになっている。それは、高 齢者が多い、という事実ではなく、その高齢者も含んで、コミュニティそのもの の機能と意味が既存の地域社会とは違ったものになっている、ということであ
る。
既存の地域社会とは、社会的弱者を擁護して、看護や介護のや世話の対象にす ることを核にして成立する共同体である。この場合、弱者は高齢者であり子供で ある。したがって、ここでの地域社会とは福祉コミュニティであり、高齢者と子
供を保護するという機能が必要とされるかぎりにおいて、コミュニティは成立す る。子供のための父母会や高齢者のための老人会が、ここでの地域社会の実態で ある。ここには、相対的に強者である成人の男女(仕事をもつ主人と家庭を守る
専業主婦)にとって、地域社会は、簡単なつきあい以上の機能も意味ももってい ない。つまり無用なのである。戦後の地域社会とは、このように、かぎりなく、 コミュニティを無用にすることで成立してきたのである。
しかし2020年のコミュニティは、まったくことなる。それは、弱者を保護す る機能と意味に特定されず、それを一部に含みながら、もっと広く機能と意味が 期待される場である。その基本は、すでにマイクロエンタープライズのところで
明確にしたように、新しいコミュニティは強く働く場であり、しかもその働き手 は成人男性に限定されず、高齢者も女性も、十分に働くことが期待された場だ、ということである。コミュニティは、十分な能力があるかぎり、その能力をもつ
成人はたとえ高齢者であっても、また子供をもった主婦であっても、労働に従事 することが期待される場であり、しかもその労働が社会的に期待されるからこ そ、それ以外の生活機能がいきいきとしてくる、という関連を期待して生成され
る社会システムである。
しかもここでは、ネットワーク環境が整備されているので、その仕事の形態は まったく異なったものになっている。従来のような組織に依存するかたちではな く、家庭生活を悠々自適に営みながら、自律的に仕事を続けるというパターンが
優先され、仕事の生きがいは非常に大きい。ネットワーク環境は、仕事そのもの のスタイルを一新させる。だからこそ、コミュニティが必要な場として期待されるのである。
さらに、このように、家庭を中心に仕事ができるという環境が立ち上がると、 そこでは、病弱になった高齢者やまだ手の掛かる子供にたいしても、身近な世話 をやくことが可能になる。その意味は、家庭は、核家族の時以上に、弱者にやさ
しい場になる。しかしさらに重要なことは、だからといって、弱者を家庭の中に 閉じこめない、ということである。核家族の場合、専業主婦がすべての弱者を家庭の中で抱える形で、家庭の維持がなされていた。しかしこれは、高齢化がすす
むほど、家庭内での世話は、主婦への過重負担になり、家族関係は悪化するばか りである。その原因は、弱者を家庭内に封じ込めるからである。
高齢化は2020年ではかなり進展しているから、、コミュニティが、家庭内の弱 者を受けとめる場として機能しなければならない。新しいコミュニティは、主婦 に働くことを期待するから、その働き場として、弱者の介護や世話は重要な仕事
になる。こうして、新しいコミュニティでは、高齢化にも十分対応できる体制に なって、活力のある社会へと変容する。
1:ネットボランティアの構想
藤沢市の生活市民は、すべて、ネットボランティアであるという自覚をもたな ければならない2020年には、子供から高齢者まで、すべての市民が情報ネッ トワーク環境を自明として生活している。これは、ネットワーク環境で生活することの意味を、みんなが実感できる状況にある、ということである。そのとき、
ネットワークを活用して生活するとき、もっとも重要な自覚は、「自分は、ネッ トワークのなかで、他の人のために支援し、また反対に、他の多くの人に支援さ れて情報行動を行っている」という事実認識である。これが、新しい自分を生成
する基本になる。いままでの社会では、消費行動に典型にみられるように、「自 分のニーズを充足させる、そのためにすべての他者を利用すればいい」という前 提で、自分らしさの形成がなされていた。これにたいして、ネットワーク環境で
の自分らしさは、まったくことなる。この新しい相互支援の発想は、ボランティ アそのものである。ここから、ネットワーク環境にいれば、必然的にボランティ アとしての行動原理が必要とされる。これがネットボランティアとしての自覚を
もたらす。市民は、だれでも、生活の基準として、ネットボランティアになる。これが、新しいコミュニティを生成させるために必要な自己意識である。
2:高齢化へのネットワーク・リテラシーの充実
高齢者は、弱者ではない。高齢者を、いかにネットワーク環境で活動できるよ うにするか、が、高齢社会での課題である。とすると、現在のミドル層をにたい して、2020年を迎えるに当たって、いかにネットワーク・リテラシーを身につ
けるか、が問題になる。その意味では、組織でのネットワーク化の推進は、ミド ルを抜きにした組織改革であってはならず、ミドルを巻き込んだ形での組織の ネットワークであることが望ましい。2020年に向けての高齢社会への準備は、福
祉政策以上に、まずは、ネットワーク環境で十分に働くことができる高齢者を育 てることである。そうしないかぎり、成熟社会へのシフトは不可能である。
3:教育システムのネットワーク化
義務教育から高等学校までの教育にかんして、ネットワーク社会に適応で きるように、新しい教育のプログラムが必要になる。ここでは、従来の読み書き 能力は、マルチメディアを基本とした新しいメディア・リテラシーの習得を前提
にした教育システムに変革されなければならない。すでに、子供たちは、マー ケットメカニズムのなかでは十分なマルチメディアのリテラシーを獲得している ので、問題は、教育のシステムとの関連をいかに強化するか、である。その関連
性が明確にならないかぎり、世界に羽ばたく人材の育成は不可能である。 教育は、すでにいかに創造性を発揮できる人材をいかにして育てるか、という 段階にきている。いつまでも均一的な知識水準を確保していればいい、という状
況ではない。世界標準を前提にして、いかに創造的な子供たちを育てるか、とい う方向性を重視しなければならない。それには、まずは、ネットワーク環境を前 提にしてマルチメディア教育をする、ということが必要である。とくに低学年の
段階から、自然に馴染むように、ネットワーク環境のなかで相互に支援しながら 勉強することを楽しさを実践させなければならない。これは、大きな教育システ ムの改革を求めるものである。
4:多様な家族パターンの支持
家族のあり方は、2020年では、非常に多様化する。いままでの核家族を基本 にして、それ以外の家族パターンを逸脱なり欠損家族というかたちで、家族の本 質を理解していた時代とはまったく異なった多様な家族形態が出現しよう。
とくに、夫婦がともにフルタイムで働きながら、子供と高齢者を抱えながら生 活するというパターンは、専業化を基本にした核家族と同じ程度、あるいはそれ 以上に大きな位置を占めるようになろう。ここでは、いわゆる弱者は家族の境界
から開かれたかたちでの世話を期待されるから、必然的にコミュニティでのケア が必要になる。こうして、家族とコミュニティが相互に支援しあうことで、両立 する道が模索される。ここにこそ、ネットワーク環境に支えられたコミュニティ
の本質がある。そして、この本質は、ネットボランティアの活躍に依存しなけれ ばならない。すべての市民がネットボランティアになる、という構想が生きるの は、このような多様な家族を許容するところからである。
5:ポストコンビニのコミュニティ
新しいネットワーク・コミュニティでは、情報ばかりでなく、人も物も、その 流れは家庭にまで直結する。現状では、その流れは、コンビニエンス・ストアに シンボライズされるように、近隣地区のレベルまでで止まっている。しかしそれ
が、宅配にまではいたっていない。だから、せいぜい、コンビニ(利便性)なの である。それは、高齢社会を想定すれば、好ましいことではない。情報が一気に 家庭に直結するように、物も人の流れも、家庭に直結しなければならない。そう
でないかぎり、高齢者の家庭では、不安と不満が高まる。しかし新しいコミュニティでは、新しい流れのシステムが再生される。ここで は、ネットボランティアの活躍によって、物流も、人的な交流も、家庭にまで運
ばれる。前者が宅配のシステムの再生であり、後者が社交の再生である。宅配 も、社交も、新しいコミュニティを形成するのに重要なことである。このシステ ムは、利便性だけのコンビニを超えた、相互支援の互恵的な社会システムであ
る。2020年のコミュニティは、利便性ではなく、相互支援を基本に近隣のつな がりがネットワークされる社会なのである。しかもそのネットワークは、コミュ ニティ内に閉じこもることなく、無限に広がりをもった世界なのである。
6:湘南のコミュニティ・カルチャーの発信
湘南の個性を主張するいろいろのコミュニティ・カルチャーが存在して、多様 な情報が発信されよう。コミュニティ情報、たとえば、それぞれの大学の授業などが、ネットワーク環境のなかで発信され、外部に開かれた情報が藤沢市から提
供されよう。コミュニティ・カルチャーは藤沢市を世界にみせる窓口であり、同 時に、外部の情報を入手する重要なステーションである。
7:健康志向を超えた意味を付与するコミュニティ
子供から高齢者まで、藤沢で暮らすかぎり、健康で暮らせるような生活環境を 整備することは重要である。公園やスポーツ場なりの近隣施設の充実ばかりか、 毎日歩く道路にあっても、健康を意識したコミュニティづくりになっていなけれ
ばならない。基本の歩くこと自体に意味が感じされるように、さまざまな工夫がなされなければならない。遊歩道のように、効率的ではなく、もっと生きる意味 を考えさせるような街づくりが期待される。それは、単に健康であればいいのと
いうのではなく、健康は自明の要請であり、それを超える生きる意味を感じされ るような工夫が必要である。
生きがいは、健康そのものではない。健康でなければ、なにもできない。だか ら、健康を超えたところで必要な意味を充足させるコミュニティが期待されるの である。ここでも、ネットボランティアの役割は大きい。
8:コミュニティ医療の充実
高齢化は必然であり、その意味では、人生の最終段階を意義あるものにするた めに、コミュニティ医療を充実させることは重要である。高次医療システムから ターミナルケアの問題まで、藤沢市民の高齢化に適切に対処する医療システムを
整備することは重要である。
生きがいは死にがいである。最期の人生を意味あるものにするのは、医療であ り、どんなに豊かで楽しいコミュニティができても、医療施設が貧しければ、人 生の最期を飾ることはできない。その意味でも、新しい医療施設への期待は大き
い。
5)オープン・ガヴァナンス構想--リーダーシップから、コラボレーションへ--
藤沢市の行政・政治システムの使命は、新しい社会ヴィジョンを作成し、その ヴィジョンを実現するために、生活市民と間にヴィジョンへの社会的合意を形成 しながら、有効な地域政策を作成し実施することである。それは、市長をはじめ
とした政治的リーダーシップに基づいて社会変革の意志を明確に示すことであ る。その場合、諸制度がヴィジョン推進に障害になるならば、制度改革をすることで、新しい行政・政治システムを構成しなければならない。
すでに新しい社会ヴィジョンは、
(1)モバイル・ネットワーク構想、
(2)グ リーン・アンビエンス構想、
(3マイクロ・エンタープライズ構想、
(4)ネッ ト・コミュニティ構想として、明示した。
問題は、この4つの構想を、地域政策 として実現するには、どのような制度改革が行政と政治システムに求められる か、ということであり、それはもう一つの、そして5番目の社会ヴィジョン(オー
プン・ガヴァナンス構想)である。
1:自律的行政システムへの改革
地方分権が成果をもつには、まずは、中央に依存する構造を改善しなければな らない。とくに財政的に依存せざるをえない状況では、藤沢市としての独自の政 策を展開することはできない。とすれば、可能なかぎり、行政の自律化を推進す
るように、財政改革をはじめ、さまざまな意味での改革が必要になる。
ネットワーク社会は、基本的には、階層的な構造からの脱却が必然であり、そ こでは、国・県・市という上下関係も希薄になるし、同時に都市間の横並び的な 関係も解消される。その時はじめて、分権を超えて自律化した行政システムが形
成されるはずである。ネットワーク社会は、都市(市)が自律しなければ生成さ れない社会なのである。藤沢市は、自律化するにふさわしい地域資源に恵まれた 都市である。
2:行政ネットワークの充実
藤沢市の行政は、その内部にあっても、また行政間にあっても、ネットワーク 化を推進させなけばならない。2020年には、行政のネットワーク化によって、 まったく新しい行政・政治システムが運営されている。行政の効率化という面で
も、また市民サービスという面でも、さらには行政の経営意識という面でも、 まったく新しい行政システムになる。それは、内部的には階層的で、外部的には 閉鎖的な行政システムを超えて、ネットワーク社会にふさわしい行政システムへ
の変革である。
3:行政マネジメントの充実
自律化とネットワーク化は、同時に両立しなければならない。どちらか一方で は、新らしい行政システムにはならない。地方分権の発想のように、上位からの 権限委譲ではなく、藤沢市の市民生活を豊かにするには、どのような機能が不可
欠で、そのためにはどのような自律化の方向があるか、そして、その自律化は近 隣の市町村との間にどのようなネットワークを巡らすことが好ましいのか、とい う方向で発想することが求められるのである。
その発想にたてば、行政システムには、強くマネジメント能力が期待される。 藤沢市としての独自性を発揮するには、行政の地域政策が総花的ではありえず、どこに重点をおけば、もっとも藤沢市にふさわしい政策色がでるか、を明確にし
なければならない。それには、市民への社会的合意を形成することをも含めて、 強くマネジメント能力が必要とされよう。
4:生活市民とのコラボレーションの充実
ネットワーク化は、政治システムにも大きな影響をもたらす。生活市民の政治 への参加はより直接的になり、市民と政治との距離はさらに緊密なものになり、 政治的なリーダーシップと意志決定への期待は一層拡大しよう。
ここでは、議会のあり方も、ネットワーク環境を前提にして、大きく変化す る。議会としても、行政へのカウンターパワーとしての機能と同時に、市民生活 からの期待を受けて、迅速な対応をする経営的な姿勢が求められよう。
議会も行政も、ともに市民の生活を支援する基盤であり、サポーターである。 階層的な組織であることから脱却して、行政も政治も、ネットワーク環境のなか で、市民生活を支える主体として変貌しなければならない。そのとき、市民との
政治的コラボレーションが生成され、市民のための政治は、一層身近なものになろう。
|