fragile
取り扱い注意 新しい個人の誕生
 
1. 関係と所有
2. アイデンティティと所有
3. 所有するモダンと共有するネットワーク
4. ネチズンの正体ーフラジャイルな個人
3.所有するモダンと共有するネットワーク

情報はそもそも所有されるものなのか。ここで、所有にかんして、もう1つのことが重要になる。財の減少性という問題である。所有が社会的な関係を生成するとしたら、所有する財が交換なりで相手に移行した場合には、その移行された財は元の所有者の手元にはない、ということが重要である。情報も、その経済的な価値でみるかぎり、減少する。同じ話をして、報償はもらえない、ということである。しかし情報は、その本来的な特性としては、減少しない。話をしたからといって、その内容が話し手の記憶から消去されることはない。情報は基本的には減少しないで、どんどん共有される特性をもつ。しかも情報は伝達されないと情報の価値は維持できない。所有しているだけでは、情報は価値をもたない。

とすると、近代社会とネットワーク社会との差異が、ここから予想される。いままでの社会は所有を基本にした社会だから、情報も経済的な価値の視点からのみ評価されたにすぎない。しかしこれからのネットワーク社会は情報共有を前提に構成される。情報共有をもとに社会関係が形成されると、そこでのコミュニケーションの形態は、情報を伝達する送り手・受け手の図式ではなく、情報を相互に支援する形態になる。それがメタファーとしてのボランティアである。インターネットでホームページをつくってみればわかるように、そこでは情報発信はない。リンクをはって、自分のページを作成しているのだから、自分はネットワークに支えられてはじめて存在している、ということになる。だからみんなに支援されて自分があるのだ。情報共有されたネットワークの世界では、だから、誰もみんなネットワークに依存する弱い自分なのだ。ここには主体性などは、いらない。アイデンティティという自立する自分は、情報所有をもとにみんなに情報発信するから、ここではうるさい邪魔な存在にすぎない。その邪魔の最後がマスメディアという巨人だったのである。