井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

自己変革能力のある社会システムへの道標(抜粋)#2

「自己変革能力のある社会システムへの道標:複雑系と無気力の心理学の視点から」(井庭崇, 1998)からの抜粋第二弾。僕が社会変革に関する重要な分析枠組みだと思う、アルバート・ハーシュマンの voice-exit モデルの説明の部分です。

今回は、先に引用してから、現在との接点について書くことにします。



自己変革能力のある社会システムへの道標:複雑系と無気力の心理学の視点から
・・・
3. 社会変革のための退出と発言

社会や組織の変革の力として、A・ハーシュマンは「退出」(exit)と「発言」(voice)の二つの行動様式を提示している [2]。第一の退出オプションとは、不満のある商品や政党を選ばなくなったり、あるいは組織から脱退することによって、反対の意思表 示を行なうというものである。度重なる退出オプションの行使によって、経営者や政党は自らの欠陥を間接的に知らされることになる。第二の発言オプションとは、不満のある商品やサービス、政治、組織などへの反対や異議の表明を、直接あるいは世間一般に対して行なうというものである。ここでは、経営者や政党は、直接的に指摘された自らの欠陥を修正することになる。

社会システムを変革するために個人が行なえることには、この二つのオプションがあるわけだが、現在の日本ではこれらは有効に機能していない。第一の退出オプシ ョンは、もともと社会の経済的な側面の行動様式であるが、日本の社会では行使が困難なオプションである。例えば、雇用が完全に流動化していなければ企業に対し退出オプションを行使するのは困難である。また退出オプションは淘汰の犠牲によって無駄が生じることを前提としているため、来るべき環境福祉国家にはそぐわないオプションであるといえる。政治の場面においては、特定政党への投票行為が他の政党への退出オプションの行使にあたるが、各政党の提示する政策ミックスが似通ったもので あれば、退出オプションの効果を有効にはたらかせることはできない。以上のことから、現在の日本社会の社会変革の力として退出オプションに大きな期待をかけることはできない。

しかしそのもう一つの選択肢である発言オプションも、現在の日本では行使することが困難である。なぜなら、社会や組織に対して発言オプションを行使するための 仕組みがほとんど存在しないからである。これは、日本社会の同質性や調和の信念、そして経済成長という共通の方向性が長期にわたり続いたことから、発言オプションの行使の仕組みを整備することを怠ってきたことに起因している。

社会が自己変革するためには退出オプションと発言オプションの行使が不可欠であるが、日本社会はこれらのオプションの不完全性によって、自己変革能力が備わっ てないといえる。そこで、社会の自己変革能力を機能せさるためには、発言オプションを可能にする社会装置と、退出オプションが正当に機能するための社会的多様性を生み出す仕組みを実現しなければならない。その実現にあたり、同時に考慮すべき問題がある。それが社会変革オプションを行使する、社会の構成員が陥っている無気力の病についてである。

注[2] ハーシュマン,『組織社会の論理構造』,ミネルヴァ書房,1975
(邦訳では"voice"を「告発」としているが、本論では、邦訳者の三浦隆之も訳注で代替案として提示している「発言」の訳語を採用する。)

(井庭 崇, 「自己変革能力のある社会システムへの道標:複雑系と無気力の心理学の視点から」, 第四回読売論壇新人賞佳作, 読売新聞社, 1998 より抜粋)




興味深いのは、執筆当時に比べ、今はインターネットが「退出」と「発言」の両方を強化しているということだ。ただし、それは社会変革のためというよりは、「脱社会化」の傾向を助長する方向性で、である。特に日本においては、この傾向は強いように思われる。ネットを駆使することで、家にこもっていても生活できてしまう。これは、脱社会的な退出といえるだろう。また、2ちゃんに代表されるようなネタ化やつっこみというのは、一種の発言的機能をもつが、それは社会変革のためというよりは、コミュニケーションへの志向性が強い。

この流れを「若者論」として拒絶・否定するという方向性もあるだろうが、この流れもひとつの現状として認め、それを包括するヴィジョンでまとめあげていくという道もある。例えば、次のような問いが考えられるだろう。

社会活動的な発言・退出と、脱社会的な発言・退出をまとめあげて、社会変革の力とすることは可能だろうか?


ハーシュマンのいう退出や発言は、社会変革的な「活動」としての退出・発言であったが、上で触れたネットによる退出・発言は脱社会的であり、社会変革的な活動ではない。しかし、そのような退出・発言を「情報」としてすくい上げることで、社会変革の力とすることは可能なのだろうか? これが、ハーシュマンの Voice-Exit モデルから発想されるひとつの論点である。
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