井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

創造システム理論の構想 #1

これからしばらくの間、「創造システム理論」(Creative System Theory)の構想について書いていきたいと思う。連載する内容は、以下の論文等をベースとして、翻訳と大幅な加筆・修正を加えたものである。

● Iba, T. (2009). "An Autopoietic Systems Theory for Creativity", The 1st Conference on Collaborative Innovation Networks (COINs).
● Iba, T. (2009-) Blog "Creative Systems Lab".
● 井庭 崇, 「自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン ── パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?」, 『10+1 web site』, INAX Publishing.



創造システム理論の構想

本稿では、「創造性」(creativity)について、認知・心理学や社会的側面ではない新しい光の当て方で理解することを試みたい。ここで想定している「創造」とは、科学的探究、絵画・造形、文芸、音楽、建築、プロダクト・デザイン、演劇・パフォーマンス等、分野にかからわず、何かを生み出すこと(思考、行為、コミュニケーション)である。その創造の主体が一人であるのか、あるいは複数人であるのかは、ここでは二次的な問題に過ぎない。というのは、ここで考えたい問題は、「創造とはどのような事態なのか?」、「創造はいかにして可能となるのだろうか?」、そして「創造を支援することは、いかにして可能なのか?」ということだからである。

本稿で提唱する創造の理論は、オートポイエーシスのシステム理論にもとづいている。オートポイエーシス(autopoiesis)とは、「自分自身を生成する」という意味の造語で、システムの構成要素をそのシステム自身がつく出しているという事態を指している。この新しいシステム概念は、当初、「生命とは何か」を理解するために考えられたものであるが、その後、「社会とは何か」を理解するために一般化され、適用された。本稿では、この概念を「創造とは何か」を理解するために用いてみたい。つまり、創造をオートポイエティック・システムとして捉えるということである。そのような創造のシステムを、生命システムや社会システムという命名に倣い、「創造システム」(creative systems)と名づけることにしたい。

創造システム理論(Creative Systems Theory)の構想を簡単にまとめると、次のようになる。創造システムは、《発見》(discovery)を要素とするシステムである。ここでいう《発見》とは、創造過程のなかで幾度となく生じる“小さな発見”のことであるが、心理的な気づきの感覚や、社会的な新規性の評価とは、区別されたものとして定義される。ここでは、《発見》を、《アイデア》(idea)、《関連づけ》(association)、《帰結》(consequence)という三つの選択の総合によって生じる創発的な統一体(unity)と捉える。ここでいう「選択」とは、心理的もしくは社会的な意思決定のことではない、という点に注意が必要である。そうではなく、別様でもあり得る「偶有的」(contingent)な状況で、ある一つの《アイデア》が、あるやり方で《関連づけ》られ、それによってある《帰結》に至ったときに、それらが「選択」された、というわけである(このような使われ方は、進化論における「自然選択」の「選択」と同様)。

ここで重要なのは、《発見》は、ある具体的な創造システムにおいてのみ《発見》となり得るのであり、その外部において単に「発見」であるということはできない。そして、ここに、創造システムを前提とする《発見》がその創造システムを構成している、という循環関係が見出される。この「鶏と卵の関係」に向き合うことが、「創造とは何か」を理解するために不可欠である、というのが、本稿での私の立場である。以上のことからわかるように、「システム」と言っても、ここで想定されているのは、入力によって処理・反応する機械のようなシステムではない、ということは強調してもし過ぎることはないだろう。

創造はそれそのもので作動的に閉じたひとつの統一体であり、心的システムや社会システムはそれに同期・参加することで創造に関わる。意識やコミュニケーションは、創造的であるためには、この創造のオートポイエーシスをうまく転がしていく必要がある。創造には心理や社会が必要であるが、だからといって、創造を心理や社会に還元できるわけではない。創造の作動の循環性とその閉じは、心的システムの作動の循環性の閉じとは、別のものである。また、それは社会システムの作動の閉じとも別ものである。それゆえ、創造はそれ自体の作動の循環性と閉じによって成り立ち、そこに心的システムや社会システムがカップリングされることで創造活動が実現するということになる。このことが、心理学的還元や社会学的還元をせずに創造について考える、ということにほかならない。

すでに述べたように、《発見》は、三つの選択が総合されなければならないため、本来生じにくいものである。そのため、《発見》が生成・連鎖し続けるためには、それを下支えする“何か”が必要となる。そのような支えのことを、《メディア》――― より厳密に言えば、《発見メディア》――― と呼ぶ。《発見メディア》にはいくつかの種類があるが、まず第一に、数学やパターン・ランゲージ等の言語や、概念・理論などが考えられる。これは、《アイデア》の選択と《関連づけ》の選択が生じやすくする。そして第二に、観察のためのツール(例えば顕微鏡)、シミュレーションやデータ分析のツール(例えばコンピュータ)、そして各種の表現ツールなどがこれにあたる。これは、《アイデア》の《関連づけ》によって《帰結》が得られることを支援する。さらに第三に、《発見》が現行の創造にとって意味・意義があると捉えやすくする象徴性、すなわち、「科学」や「芸術」というような色づけも《メディア》としてはたらく。このような三種類の《メディア》が、それぞれに《発見》の生成の不確実性を克服するために貢献する。かくして、創造そのものをデザインすることはできないが、《発見メディア》をデザインすることで創造を支援する可能性について議論できるようになるのである。
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