メディアとしての学習パターン:対話ワークショップの狙い
ひとつ前のエントリ「"Design Your Learning!" Dialogue Workshop @SFC」で紹介したワークショップ。「学習パターン」を使ったこのワークショップで僕らが狙ったのは、大きく分けて次の二つのこと。
まず第一の狙いは、これから取り入れたい学習パターンのSolution(解決策)とAction(アクション)の具体的なイメージを掴んでもらう機会を提供することである。
パターン・ランゲージは抽象的に書かれているので、自分が経験していないパターンを実感することは少々難しい。パターン・ランゲージでは、あえてそのように抽象的に書いているのであるが、パターンの記述に加えて、具体的な実現例を少し知るだけでも理解度がグッと増す。
このワークショップでは、体験した人がその場で語ってくれるので、そのパターンをリアルに実感することができる。そして、ピンとこなければ質問だってできる。このような過程を経て、自分のこれからの学びのデザインに役立てることができるのだ。
そして第二の狙いは、「語り部」として自分の体験を語ることで、自分のなかにある「学び方」とその経験を振り返る機会を提供することである。自分を「学びの達人」だと思っている人は別として、ほとんどの人は、自分の学び方やその経験は、他の人に語るほどのものではないと考えているだろう。
ところが、自分が実践した(ささやかな)学びの経験でも、学習パターンのどれかに当てはまり、その具体事例として捉え直すことができれば、それは語る価値があるものに思えてくる。
しかも、実際に話すと、体験談を知りたいと思っている人が、「なるほど!」と、うれしそうに聞いてくれる。
このように、学習パターンがメディアとなり、多くの人のなかに眠っている「学び」の経験談を、コミュニケーションの俎上にのせる。この経験は、その場でのコミュニケーションを誘発するだけでなく、自分の学び方や経験についての振り返りの思考を促すことにもなるはずだ。
全員が、聞き手であり語り部であるという対称性をもつことはすでに書いたが、学習パターンを用いたワークショップは、聞き手の立場にいても、語り部の立場にいても、学びについて考える機会となるのである。
実は、去年から学習パターンを用いたワークショップの案については、井庭研/学習パターンプロジェクトでは議論を重ねていた。しかし当時は、「学習パターンを知ってもらう」という意図で構想していたため、面白そうなワークショップを思いつくことができなかった。
今回のワークショップは、みんながもっている(ささやかな)経験を、学習パターンの光のもとで語ってもらう、という「語り部」への着目が功を奏したと思う。
特に意識してはいなかったが、この発想の転換が可能だったのは、もしかしたら今年の春にお会いした今村久美さんの「カタリバ」の話の影響が、僕のなかに残っていたからかもしれない(今村さんにお会いしたのは『三田評論』座談会)。もしそうであるならば、出会い・語り合うということは、未来を変える可能性をもっているということになる。
この学習パターンのワークショップも、学生の誰かが「出会い系だ!」と言っていたが、そういう未来を変える「出会い」につながるならば、僕らとしてはとてもうれしい。
まず第一の狙いは、これから取り入れたい学習パターンのSolution(解決策)とAction(アクション)の具体的なイメージを掴んでもらう機会を提供することである。
パターン・ランゲージは抽象的に書かれているので、自分が経験していないパターンを実感することは少々難しい。パターン・ランゲージでは、あえてそのように抽象的に書いているのであるが、パターンの記述に加えて、具体的な実現例を少し知るだけでも理解度がグッと増す。
このワークショップでは、体験した人がその場で語ってくれるので、そのパターンをリアルに実感することができる。そして、ピンとこなければ質問だってできる。このような過程を経て、自分のこれからの学びのデザインに役立てることができるのだ。
そして第二の狙いは、「語り部」として自分の体験を語ることで、自分のなかにある「学び方」とその経験を振り返る機会を提供することである。自分を「学びの達人」だと思っている人は別として、ほとんどの人は、自分の学び方やその経験は、他の人に語るほどのものではないと考えているだろう。
ところが、自分が実践した(ささやかな)学びの経験でも、学習パターンのどれかに当てはまり、その具体事例として捉え直すことができれば、それは語る価値があるものに思えてくる。
しかも、実際に話すと、体験談を知りたいと思っている人が、「なるほど!」と、うれしそうに聞いてくれる。
このように、学習パターンがメディアとなり、多くの人のなかに眠っている「学び」の経験談を、コミュニケーションの俎上にのせる。この経験は、その場でのコミュニケーションを誘発するだけでなく、自分の学び方や経験についての振り返りの思考を促すことにもなるはずだ。
全員が、聞き手であり語り部であるという対称性をもつことはすでに書いたが、学習パターンを用いたワークショップは、聞き手の立場にいても、語り部の立場にいても、学びについて考える機会となるのである。
実は、去年から学習パターンを用いたワークショップの案については、井庭研/学習パターンプロジェクトでは議論を重ねていた。しかし当時は、「学習パターンを知ってもらう」という意図で構想していたため、面白そうなワークショップを思いつくことができなかった。
今回のワークショップは、みんながもっている(ささやかな)経験を、学習パターンの光のもとで語ってもらう、という「語り部」への着目が功を奏したと思う。
特に意識してはいなかったが、この発想の転換が可能だったのは、もしかしたら今年の春にお会いした今村久美さんの「カタリバ」の話の影響が、僕のなかに残っていたからかもしれない(今村さんにお会いしたのは『三田評論』座談会)。もしそうであるならば、出会い・語り合うということは、未来を変える可能性をもっているということになる。
この学習パターンのワークショップも、学生の誰かが「出会い系だ!」と言っていたが、そういう未来を変える「出会い」につながるならば、僕らとしてはとてもうれしい。
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