「イノベーター精神とプロデューサー感覚を」(井庭 崇)
前の記事で、学生に「未開のフロンティア」=「新しい遊び場」を提供するために、セカンドライフの島を買ったという話をしたが、どうやら僕はずいぶん前からこういうことの重要性を考えていたようだ。
僕がまだ博士課程の学生だったころ、雑誌に「未開のフロンティア」の重要性を書いていたのを思い出した。「私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。………コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである」とか、「社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということ」こそが大学が行うべきことだ、ということを、今から7年前にも考えていたようだ。
懐かしく読み返してみると、いまでも同じ気持ちでいることに驚かされる。せっかくの機会なので、ここで紹介することにしたい。この記事は2000年に『KEIO SFC REVIEW』という雑誌に書いたものだ。その号は、SFC創設10周年記念号で、「慶應義塾大学SFCこれまでの10年、これからの100年」という特集が組まれていた。以下のものは、その一環として書いたものだ。
「イノベーター精神とプロデューサー感覚を」(井庭 崇, KEIO SFC REVIEW No.6, 2000年4月1日, p.115)
試行錯誤を通してしか身につかないものがある。ここで取り上げたいイノベーター精神やプロデューサー感覚というものは、そういった類のものだ。人が何か新しいことをするとき、あるいは小さな物事を大きな規模に育てていくとき、その試行錯誤の過程において体得するものは計り知れない。ところが社会基盤が整備されグローバル化や大規模化が進むと、このような体験は困難になる。既にある枠組みの中で、後から入ってきた世代がフォロワーになってしまうのである。その結果、組織や社会の活力が失われてしまうということは、日本社会や企業、大学などが現在直面している共通の問題ではないだろうか。
このような状況を打破するための姿勢と方法を、私はイノベーター(クリエーター)とプロデューサーから学ぶことがことができると考えている。そこには、研究や創作、開発、ビジネスといった個別活動の背後にある共通のエッセンスが存在するように思うからである。
イノベーションとは新しい何かを生み出すことだが、上記の個別活動はイノベーションを起こすということに他ならない。それは、既存の選択肢の中からどれかを選ぶという行為ではなく、新しい選択肢を創っていくという行為である。そのためには既存の選択肢に満足せず、その矛盾や限界を見抜き、一歩引いて新たな次元から物事を眺めてみる姿勢が重要である(複雑系科学では、このプロセスこそが生命が根本的にもつ生命性・創造性だといわれている)。
もう一つ重要なのが、プロデューサー感覚である。問題解決に取り組む場合、単に解決のための思索に全エネルギーを注ぐのではなく、絶えず全体像をイメージして全体と部分との間を行き来する、そういったプロセスが重要である。その全工程の調整やバランスの感覚が、プロデューサー感覚ということである。
私は、私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。生まれた時には既に日本社会の枠組みが存在し、新しいことをするのが困難だったものの、コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである。それは今までの常識が通用しないフロンティアであり、何ができるかは想像できない。何もないから小さな試行錯誤が可能であるし、小さなことでも注目や反応がある。そういったことが、ネットワークを駆使した創作やベンチャービジネスという形で体験されていったのである。
世の中には直近で考えるべき問題がたくさんあるのは言うまでもない。また情報通信技術を活用してどのような社会をつくっていくのか、ということもまた重要な課題である。しかし同時に、社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということも、社会の中での研究機関・社会提言装置としてのSFCの役割だろう。そして、イノベーター精神やプロデューサー感覚を持った人材をいかに社会に送り込んでいくのか。それもまた、教育機関としてのSFCの果たすべき役割なのである。しばらくの間、私は学生という立場でこの課題に取り組み、実践していきたいと考えている。
(井庭崇, 2000)
僕がまだ博士課程の学生だったころ、雑誌に「未開のフロンティア」の重要性を書いていたのを思い出した。「私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。………コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである」とか、「社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということ」こそが大学が行うべきことだ、ということを、今から7年前にも考えていたようだ。
懐かしく読み返してみると、いまでも同じ気持ちでいることに驚かされる。せっかくの機会なので、ここで紹介することにしたい。この記事は2000年に『KEIO SFC REVIEW』という雑誌に書いたものだ。その号は、SFC創設10周年記念号で、「慶應義塾大学SFCこれまでの10年、これからの100年」という特集が組まれていた。以下のものは、その一環として書いたものだ。
「イノベーター精神とプロデューサー感覚を」(井庭 崇, KEIO SFC REVIEW No.6, 2000年4月1日, p.115)
試行錯誤を通してしか身につかないものがある。ここで取り上げたいイノベーター精神やプロデューサー感覚というものは、そういった類のものだ。人が何か新しいことをするとき、あるいは小さな物事を大きな規模に育てていくとき、その試行錯誤の過程において体得するものは計り知れない。ところが社会基盤が整備されグローバル化や大規模化が進むと、このような体験は困難になる。既にある枠組みの中で、後から入ってきた世代がフォロワーになってしまうのである。その結果、組織や社会の活力が失われてしまうということは、日本社会や企業、大学などが現在直面している共通の問題ではないだろうか。
このような状況を打破するための姿勢と方法を、私はイノベーター(クリエーター)とプロデューサーから学ぶことがことができると考えている。そこには、研究や創作、開発、ビジネスといった個別活動の背後にある共通のエッセンスが存在するように思うからである。
イノベーションとは新しい何かを生み出すことだが、上記の個別活動はイノベーションを起こすということに他ならない。それは、既存の選択肢の中からどれかを選ぶという行為ではなく、新しい選択肢を創っていくという行為である。そのためには既存の選択肢に満足せず、その矛盾や限界を見抜き、一歩引いて新たな次元から物事を眺めてみる姿勢が重要である(複雑系科学では、このプロセスこそが生命が根本的にもつ生命性・創造性だといわれている)。
もう一つ重要なのが、プロデューサー感覚である。問題解決に取り組む場合、単に解決のための思索に全エネルギーを注ぐのではなく、絶えず全体像をイメージして全体と部分との間を行き来する、そういったプロセスが重要である。その全工程の調整やバランスの感覚が、プロデューサー感覚ということである。
私は、私たち団塊ジュニア前後の世代は、ある意味幸運だったと思っている。生まれた時には既に日本社会の枠組みが存在し、新しいことをするのが困難だったものの、コンピュータネットワークという白紙の世界が出現したからである。それは今までの常識が通用しないフロンティアであり、何ができるかは想像できない。何もないから小さな試行錯誤が可能であるし、小さなことでも注目や反応がある。そういったことが、ネットワークを駆使した創作やベンチャービジネスという形で体験されていったのである。
世の中には直近で考えるべき問題がたくさんあるのは言うまでもない。また情報通信技術を活用してどのような社会をつくっていくのか、ということもまた重要な課題である。しかし同時に、社会的選択肢となる次なるフロンティアを一つでも多く生み出していくということも、社会の中での研究機関・社会提言装置としてのSFCの役割だろう。そして、イノベーター精神やプロデューサー感覚を持った人材をいかに社会に送り込んでいくのか。それもまた、教育機関としてのSFCの果たすべき役割なのである。しばらくの間、私は学生という立場でこの課題に取り組み、実践していきたいと考えている。
(井庭崇, 2000)
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