セカンドライフ上でゼミを実施(井庭研究会1)
井庭研究会では、先日、正規のゼミをセカンドライフ上で実施した(2007年7月10日)。僕が担当する2つ研究会の両方で行ったのだが、まずは井庭研究会1「理論と実践の社会研究」での実践について紹介したい。この研究会では、社会学者ニクラス・ルーマンの社会システム理論をベースに、新しい捉え方で社会を理解し、新しい方法による実践を行うという研究に取り組んでいる。この研究会には、現在16人が参加者している(学部生14人+大学院生2人)。
セカンドライフ上でのゼミは、パンダフル島の会議室で行った。この会議室も、研究会のメンバーがつくったものだ。この場所に、ゼミが始まる時間の少し前から、研究会メンバーが集ってきた。この日は補講期間中でほとんど授業がなかったので、それぞれ家にいたり、カフェにいたり、学校で課題をやっていたりした。
ゼミは、いつものように僕の話のあと、個人研究の進捗報告をそれぞれ行った。僕の話も進捗報告も、チャットで行う。いつもであればサッと終わる報告も、キー入力のスピードに引きずられて結構長い時間かかってしまった。チャットの世界というのは、キー入力のスピードが、コミュニケーション能力を規定する最初の要因になっているのだ。ある意味シビアな世界だ。
その後、輪読に入った。このときの輪読文献は、リチャード・フロリダの『The Rise of Creative Class』の後半部分だ。チャットで輪読発表と議論が進められた。内容的に面白かったのは、創造性と「場所」についての議論だ。フロリダは創造的な活動のために実際の「場所」を重視するが、セカンドライフのような「場」を、僕らはどう捉えていけばいいのか? この点について、ゼミ方法と輪読内容が連動して、面白い議論が展開された。
輪読する文献やレジュメについても、形だけだが、セカンドライフ上にも作成しておいた。残念ながら、この本は開いて読むことはできない。参加者は、現実世界で手元にある本物の書籍をめくることになる。輪読レジュメについても、本物のレジュメがテクスチャとして貼られているが、読みづらいので、すでにメールで送られていたレジュメを読むことになる。
結局3時間ほど、セカンドライフ上でゼミを行ったが、終わったあとは、どっと疲れが出た。参加者はそれぞれにいろんなことを考えたようだ。通常のゼミとは異なる雰囲気と異なるコミュニケーションの連鎖を生み出す。このことについて、いくつか参加者の感想を取り上げてみよう。
これらは発言のしやすさという気持ちの問題だが、チャットで会話することの実質的なメリットもある。複数人が同時並行で書くことができるということと、ログが残るということだ。
しかし、セカンドライフでゼミを行うことの最も重要な点は、単なるチャットと違って、同じ場に「いる」という感覚があるということだ。チャットの場合は、しばらく文字を打っていない人の存在感はどんどん薄れていってしまうが、セカンドライフでは黙っているアバターの姿が見える。しばらく何も操作しないと、アバターはウトウトしだすので、メンバー間で「起きろ~」なんて発言があったりする。このようなヴァーチャルな存在感については、参加者の感想でも指摘されている。
あとは、PCのスペックや通信速度の問題で、動きが粗く、反応も悪かったという感想もあった。それだけでなく、本体が異様に熱くなったりフリーズしてしまったりする人が数名いた。今後、このような場を設けるときには、参加者の参加環境についても意識しておくことが重要だということがわかった。
このように、実際にセカンドライフ上でのゼミを行ってみると、いろいろなことを感じ、考えることができた。なかなか面白い試みだったと思う。
慶應義塾大学 SFC
総合政策学部/環境情報学部/政策・メディア研究科
井庭研究会1「理論と実践の社会研究:社会システム理論を究める」
担当:井庭 崇
セカンドライフ上でのゼミは、パンダフル島の会議室で行った。この会議室も、研究会のメンバーがつくったものだ。この場所に、ゼミが始まる時間の少し前から、研究会メンバーが集ってきた。この日は補講期間中でほとんど授業がなかったので、それぞれ家にいたり、カフェにいたり、学校で課題をやっていたりした。
ゼミは、いつものように僕の話のあと、個人研究の進捗報告をそれぞれ行った。僕の話も進捗報告も、チャットで行う。いつもであればサッと終わる報告も、キー入力のスピードに引きずられて結構長い時間かかってしまった。チャットの世界というのは、キー入力のスピードが、コミュニケーション能力を規定する最初の要因になっているのだ。ある意味シビアな世界だ。
その後、輪読に入った。このときの輪読文献は、リチャード・フロリダの『The Rise of Creative Class』の後半部分だ。チャットで輪読発表と議論が進められた。内容的に面白かったのは、創造性と「場所」についての議論だ。フロリダは創造的な活動のために実際の「場所」を重視するが、セカンドライフのような「場」を、僕らはどう捉えていけばいいのか? この点について、ゼミ方法と輪読内容が連動して、面白い議論が展開された。
輪読する文献やレジュメについても、形だけだが、セカンドライフ上にも作成しておいた。残念ながら、この本は開いて読むことはできない。参加者は、現実世界で手元にある本物の書籍をめくることになる。輪読レジュメについても、本物のレジュメがテクスチャとして貼られているが、読みづらいので、すでにメールで送られていたレジュメを読むことになる。
結局3時間ほど、セカンドライフ上でゼミを行ったが、終わったあとは、どっと疲れが出た。参加者はそれぞれにいろんなことを考えたようだ。通常のゼミとは異なる雰囲気と異なるコミュニケーションの連鎖を生み出す。このことについて、いくつか参加者の感想を取り上げてみよう。
「みんなが沈黙する場面がなかった。・・・・・発言しやすいという雰囲気はやはりあると思う。」
「私は自宅から参加したのですが、自分の部屋だと気持ち的に楽で、思ったことが言えた気がします。」
「自分の家からやってたんでリラックスして出来るかなぁと思ったのですが、案外そこまででもなかったです。でも発言がしやすいというのは感じたので、(ブレストみたいな)立場を気にしないほうが効果を生むようなことには向いていると思いました。」
これらは発言のしやすさという気持ちの問題だが、チャットで会話することの実質的なメリットもある。複数人が同時並行で書くことができるということと、ログが残るということだ。
「対面下では二人同時に別々の話題で会話をするということはありえないが、テキストでの会話ならそれも可能になる(発言のタイミングにこだわる必要性が低い)というのも、発言しやすい理由の一つだろう。」
「会話のやりとりがチャットで記憶されるため、何を言っていたか確認するのに便利だと感じました。」
しかし、セカンドライフでゼミを行うことの最も重要な点は、単なるチャットと違って、同じ場に「いる」という感覚があるということだ。チャットの場合は、しばらく文字を打っていない人の存在感はどんどん薄れていってしまうが、セカンドライフでは黙っているアバターの姿が見える。しばらく何も操作しないと、アバターはウトウトしだすので、メンバー間で「起きろ~」なんて発言があったりする。このようなヴァーチャルな存在感については、参加者の感想でも指摘されている。
「お互いにリアルでは同じ場所にはいないのに、セカンドライフ上では同じ場所にアバターが集まっていて、それが意外と「同じ場所にいる感覚」がするものだなぁ、というのが発見でした。この同じ場所にいる感覚、というのがただのチャットと違うところなんだなぁと思います。」
「会話に参加していない人も、アバターによって認識できるという点、そしてその場を共有しているという雰囲気が議論を有意義なものにするのかなと思いました。」
「ちょうど今朝、ポリコムのテストで3地点を結んだのですが、同じ画面上にいるという共通点はあるものの、Second Lifeでバーチャルでありながらも同じ場にいるのと、明らかに別の場所にいるのでは、会話をするときの距離感が違うと感じました。(SecondLifeのほうが近く感じて、同じ場にいるという感覚がありました)」
「一体のアバターが動くということが多くの可能性をもたらしてくれそうです。インターネットでは個人はあまり見ることができないので。」
あとは、PCのスペックや通信速度の問題で、動きが粗く、反応も悪かったという感想もあった。それだけでなく、本体が異様に熱くなったりフリーズしてしまったりする人が数名いた。今後、このような場を設けるときには、参加者の参加環境についても意識しておくことが重要だということがわかった。
このように、実際にセカンドライフ上でのゼミを行ってみると、いろいろなことを感じ、考えることができた。なかなか面白い試みだったと思う。
慶應義塾大学 SFC
総合政策学部/環境情報学部/政策・メディア研究科
井庭研究会1「理論と実践の社会研究:社会システム理論を究める」
担当:井庭 崇
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