井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

人間、世界・宇宙と向き合う:谷川俊太郎『聴くと聞こえる』を読んで

谷川俊太郎さんの新刊『聴くと聞こえる:on Listening 1950-2017』は、沈黙と音と言葉についての詩とエッセイで編み上げられている魅力的な本だった。

「言葉というものが何でも語ることができると思ったら大間違いだ。」(p.52)

「たとえば、言葉は音楽を語る事ができない。音楽をめぐるいろいろな事、或いは音楽を聞く自分を語れはしても、音楽そのものは語れない。」(p.52)

「だが人間として生きること、それは沈黙して生きることであってはならない。そして特に詩人として生きること、それは言葉や声がどんなに信じ難いものであるにせよ、沈黙ではないものに賭けて生き続けることに他ならない。
 人を互いにむすびつけることだけが言葉の機能ではない。言葉は人間のものであり、同時に人間のものでない。〈青空よ…〉と詩人が呼びかける時、詩人はその言葉を、自分と、青空と、そして人々のために云うのだ。そしてそうすることで、詩人は青空と戦い、かつむすばれる。」(p.108)


僕もパターン・ランゲージをつくるとき、同様の気持ちを抱く。

「実践知は身体的なものであり、言葉で表せるわけがない」と言われることがあるが、そんなことは当然であり、言葉で何でも表現できるなんて思っているわけではない。しかし、しかしだ。詩人が世界について、音楽について、沈黙について語るように、僕らは、なんとか言葉にしようとする。そのものは伝えられなくても、それがどのようなものであるのかを、詩的に表現し、共有するのである。

だからこそ、パターン・ランゲージは、詩との関係が深い。アレグザンダーはパターン・ランゲージの本のなかで「詩学」(ポエジー)という言葉を用いて語ったし、パターン・ランゲージをつくる人のなかには、本当に詩を書く詩人である人もいる。

僕らは言葉の限界を理解した上で、それで表せることに賭けている。そこに挑んでいる。だから、パターン・ランゲージの作成は一筋縄ではいかない、身を削るような作業となる。それは、人間と、そして世界・宇宙と向き合うことである。言葉にならないものに眼差しを向け、そのための言葉を紡いでいくということなのである。


谷川俊太郎, 『聴くと聞こえる:on Listening 1950-2017』, 創元社, 2018

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